今週のおすすめ本 |
ブック名 | 私の体験的ノンフィクション術 |
著者 | 佐野眞一 |
発行元 | 集英社新書 | 価格 | 714円 |
チャプタ | プロローグ @ある調査術、みる記録法 A語り口と体験 B仮説を深める C取材から構成、執筆へ D疑問から推理までの道のり E民俗学をめざして エピローグ |
キーワード | 面白い人物、出会い、小文字、人のネットワーク、現場主義、 情報の響き、過剰、謎、闇 |
本の帯 | どう「歩き」「見」「聞き」書いてきたか、処女作「性の王国」 から「東電OL殺人事件」、テロ直後のNY取材まで |
気になるワード ・フレーズ | ・ノンフィクションとは固有名詞と動詞の文芸である。 ・経済的な豊かさの獲得をひきかえに、日本人の精神を著しく劣化させていったのではなかろうか。 ・宮本は彼を慕って集まってきた若い学生に向って人生訓を含めながら、よく「道草をくえ」といった という。 ・情報に向って脇目もふらずに突き進むことだけが取材なのではない。目的の情報にたどりつくまでの みちすじにどんな人々がどんな服装で歩いているのか、路傍にはどんな草花が咲いているのかじっくり 観察する余裕をもつことこそ、迂遠のようでいてむしろ取材の王道だと私は信じてやってきた。 ・宮本は戦前・話し言葉しかもたない「無文字社会」に生きる人びとを好んで訪ねた。その蓄積が、 話し言葉を文字化することにかけては天才的、といわれた宮本の仕事を生んだ。 ・「体験」書くだけでは狭くやせ細ったノンフィクションにしかならない。これが私の基本的な考え方 である。自分の「体験」をより広い時間軸と空間軸のなかに放りこむことで、自分の「体験」が作品の なかで意味を持ちはじめる。 ・マイナスの要素を書いても、全体像は揺るがない。私はそんな人物こそノンフィクションの主人公 に足る人物だという信念をもって仕事を続けてきた。 ・人から人への情報をたどっていくということは、結局、足をいかに使うか、骨身をどれだけ惜しま ないかということに尽きる。 ・情報というものはピンポイント的に存在するのではなく、別の情報と響きあうことで価値をおびて くる。 ・「過剰」な人間の存在を許さないのが、現代の状況である。そしてそうした状況が「物語」を 疲弊させる原因ともなっている。 ・東電OL殺人事件が起きたとき、マスコミはどう報じたか。エリートOLの「昼の顔」と「夜の顔」 という陳腐ないい方で、面白おかしく書き立てただけだった。彼女の「心の闇」にも迫ろうとせず、 裁判所通いもせず、ましてやネパールに飛ぶことなどまったく考えもしなかった。 ・小渕が総理大臣になったときの反応もそっくりだった。新聞は「冷めたピザ」「暗愚の宰相」と レッテルを貼ることだけに終始した。・・・早稲田出身のボンクラ宰相といわれる男の内面にも、 もっと深々としたものがきっとある。そしてそれこそ読者が本当に知りたいものであるはずだ。 ・大筋からみて一見関係ない話、誰も見向きもしそうにない話をどれだけ集め、それを全体のなかに どうちりばめていくかが、私が持論とする「小文字」で書くということの具体的な意味である。 ・「みたことがない」ものは書かない。これがノンフィクションであろうと何であろうと、文章を 書くときの鉄則である。 ・自分だけの視点をもつこと、独自の切り口をみつけること、埋もれていた人物を発掘すること、 この3点がノンフィクションの最重要要素ということになる。 ・強い沈黙の背後には必ず人にはいいたくない何かが隠されている。これはカンというよりは 私なりの経験則だった。 ・マスコミはえてして「絵」になりやすいところばかりにスポットをあてがちである。 |
かってに感想 | 筆者の作品は2冊目である。前作品は「大往生の島」というもの。 3年前である。高齢比率日本一の島、50%以上が65歳以上という、 周防大島の属島沖家室島(おきかむろじま)の人たちを紹介したもの。その中にあるキーワードは、 長生きだが現役であるということ、死生観がしっかりしていて死は日常の中に 溶け込んでいるということだった。 そして、周防大島は、筆者が尊敬してやまない民俗学者宮本常一(4千日の旅、16万キロ、 地球4周、10万点の記録写真)の生まれ育ったところ でもある。 その時は私、釣りもできるということで筆者が泊まったという民宿に是非いきたいと思ったものだ。 さらに宮本常一を題材にした「旅する巨人」をすぐに 読みたいと思い、書店に出向いたのだが、かなり前の作品なのか書店にはなかった。 そして、しばらくして見つけた時、単行本は分厚く値段が高いため、敬遠してしまった。 やがて、文庫本が出た時も、その分厚さに少しためらってしまい、また買わなかった。 月日が流れるうち、筆者の作品「東電OL殺人事件」 が発刊されたのだが、それも買わずに見過ごしていた。 そして、この本との出会いということになったのである。 私は「ノウハウ」ものが好きである。特に長年かかって蓄えられてきた ものがオープンにされる、そういったものが好きである。 そして、ホームページを開設し、ヘタな文章を書くようになってからというもの、 まがりなりにも何かネタを探すノウハウはないものかといつも思っていたのだ。 かつて、吉村昭著「史実を歩く」を読んで、歴史小説を書くまでのノウハウに 感激したものだ。 この本を見つけた時も、捜し求めていたものがあったという喜びがあった。 一気に読み進めて、筆者がノンフィクションを書き上げるまでの集中力と 粘着力、ひたすら事実だけを追い求める熱意、主人公を知る生き証人を探し 取材する。これらは、歴史小説家の吉村昭と全く同じである。 主人公の謎の部分に仮説をたて、取材し構成、執筆、疑問から推理へと。 ここには、ノンフィクション読み物に、うまくつながったことしか 書かれていないが、読み物になるまでの情報収集には各地を「歩き」、現場を「見」、 そして多くの人から「聞き」、という膨大な作業があったことは明らかである。 捜し求めていた以上に新しい事実が出たことが書かれている部分を読んでいると、 こころにぞくぞくとくるもが感じられる。 この本の中には、筆者独自のノウハウがたくさんつまっている。 だからといって、同じことをすれば、かならず同じようにいい作品が生れるというものでもない。 だが、何かを書きたい人にとって、ネタを求めたり、どんな手法で書けば いいのかと思っている人にとっては、かならず参考となる一冊である。 筆者が言うようにやはり、「事実は小説より奇なり」ということなのだとつくづく思えるのだ。 キーワードにあるように、筆者は「過剰」、「闇」、「謎」を持つ人間にスポットをあてているのである。 確かに、読み手側からすれば、こういった部分に興味を示し、 もっとその部分・事実を知りたいということに間違いはない。 それがまさにノンフィクションの醍醐味でもあるようだ。 私がこの本から得たヒントは、何か面白い情報を得ようとするなら、 人のネットワークというか人づてに情報をたどることが大切なのだということである。 そして、もう一つは現場主義に徹しない新聞、絵という華々しいことばかりに 目を向けている新聞情報は、やがて人離れ現象がでてくるではないかと思える。 終わりに、この本の中に紹介されている読みたいと思った筆者の作品を羅列しておこう。 「性の王国」「旅する巨人」「巨怪伝」「渋沢家三代」「凡宰伝」「東電OL殺人事件」「遠い『山びこ』」 |