今週のおすすめ本 |
ブック名 | 夫の宿題 | 著者 |
遠藤順子 |
発行元 | PHP | 価格 | 1400円 |
チャプタ |
@今度もきっと、治してあげる A夫遠藤周作という人 B人生を横切る宝もの C魂の交わり−心あたたかな病院 Dまふ逢う日まで 死は終わりではない |
キーワード | 愛,病院の治療とあり方,宝となる思い出,別の世界 |
本の帯 | 近頃、こんなに感動した本はない。遠藤周作さんに対する順子夫人の限りない愛と献身の闘病記。世にも美しい夫婦愛が世紀末の暗い闇に輝かしい希望の光を放つ(瀬戸内寂聴) |
気になるワード ・フレーズ |
・辛い時にシーソーの片方が下りると,何かといたずらを考えて,シーソーのもう片方に重しをかけて,心のバランスをとる。 ・病気とか老年というものは,神様がそろそろ自分の素顔を見てごらん。それが私のところへもってくるお前の本当の顔なのだよ(遠藤周作) ・人間年をとって来ると,今まで若い時や壮年期には聞こえて来なかった声が夕日に染められた雲の中からひそかに聞こえてくる(遠藤周作) ・あの奥さんの現身(うつしみ)の人間にとってついていけるギリギリの線まで,手を握るという行動でもって夫の苦しみを共にしたのだと,私も胸にこみ上げてくるものがありました。 ・日本人の感覚にマッチした教会が生まれるために,今生きている我々は踏み石に,という覚悟ができているつもりです。 ・貴方が本当に心から愛していた人があったとして,その方が亡くなって姿が見えなくなったといって,果たしてそれですべてが終わりでしょうか。もしそう思われているとしたら貴方の中で現在,人生より生活にウェイトがかかりすぎているかもしれません。 ・一言でいえば,要するに多弁すぎるように思います。十字架上に磔にされたキリスト像が出てくれば,いい悪いは別として,99%の日本人はその余りの多弁さにゲンナリしてしまうのです。 ・カトリックというのは普遍的という意味だからといって,自分たちが信じる宗教だけが絶対普遍的なものであるはずだと考えるのは,あまりにも短絡的なものの考え方でしょう。 ・日本ほど無月から始まって満月に至り,また無月へ還るまでの1カ月の月の営みに沢山の名前をつけている国はないでしょう。雨の名前も風の名前も,おそらく世界一ではないかと思います。桜狩り,紅葉狩等という風流を解するのも日本人の美学の一つと思います。ものみな移ろっていくという諦観が,桜や紅葉を賞(め)でる心の底にあると思います。 |
かってに感想 |
狐狸庵先生は,その作品の中で「愛の第一原則は捨てぬこと」「恋なんて誰でもできるもの。愛こそ創りだすもの」と言っていた。 また,「階下の茶の間では家族たちが談笑している。その声が書斎まで聞こえてくるのだが,下におりて皆と話す気持に毛頭ならない。それに私が茶の間に入ると,今まで話をしていた家族が一瞬,口をつぐみ,白けた表情をするのもよくわかるからだ」といった家族の風景も描かれていた。 あるいは,老いとか死について多くのエッセイも書いている。 そんなことから,先生の奥さんがどんな人で先生をどうみていたのかということと,死を迎えるにあたって狐狸庵先生はどうだったのかを知りたいという願望があった。 本屋を巡回の際,記憶の隅にあったこの本「夫からの宿題」を急に読んでみたくなったのである。 たぶん狐狸庵先生の文庫本を読まなかったら,読むこともなかっただろうと思う。 チャプタ1は,狐狸庵先生が,移植しない限り治らない腎不全を患ってから臨終を迎えるまでの医者の治療について,チャプタ2は遠藤周作の人物像と筆者との関わり,チャプタ3は筆者と共に体験した旅行先等でのもらった宝物,チャプタ4は心あたたかな病院運動,そして夫との別れと次なる世界での出会いを待ってで構成されている。 まず,狐狸庵先生は死線をなんども超える手術を体験していることを知る。肺結核で3度の手術,そして癌の手術,さらに肝機能と糖尿病改善薬の影響で腎不全を起こし,腹膜透析のための手術,結局これが命取りとなったとあるが,この手術に際し,他の病院での検査をしてダブルチェックすべきであったことが,残された筆者として未練を残している。 誰もが家族が入院手術をする際,医者から示された内容でその時は,最善の選択をしたと思っていても,亡くなった後で,ああすればよかったと思うことがやはりあるものだと痛感させられる。事実癌でなくなったわが父の場合もそうであった。 ただ,私たち素人は医者に全幅の信頼をおいている。だが,筆者が言うように医者が専門職化し,ある薬が特定の臓器には効いても他の臓器へ悪影響がでるかどうかは,全く知らん顔であるということ,要は神聖化された医者においても横のネットワークができる人が少ない,これは一般の企業と全く同じなのである。一つの診断が全て正しいと思わず,ダブルチェックを進めているこの本に共感した。 チャプタ1と2で二人の縁と絆,3と4で夫の探しものと妻の探しものが同一化していることを知り,チャプタ5でふたりで創り上げた愛の深さを感じ,「あとがきにかえて」でさらに次なる世界でも二人は間違いなく結ばれるだろうと思える。 ただ私は,次なる世界があるという確信はもちたいと思うが,いまだにわからないというのが,本音である。 内容全体は遠藤周作氏に関わることで占められているが,日本人としてカトリックの日本での布教活動が実らないことについて触れ,日本人にあったカトリックになっていないのではと,指摘している部分は内部告発とは言え,するどい指摘ではなかろうか。 結婚式,クリスマス,初詣等,神仏両方を自分が必要なときにだけ愛する日本人にとって,休日に毎週やってくるクリスチャンの布教活動は,「自分たちが信じる宗教だけが絶対普遍的なものであるはずだと考える」その考えがベースにあり,布教活動者が話す言葉もいつもそういったトーンでしか言わないと思っているのは私だけだろうか。さらにいまだに馴染めない親しみがもてないのも私だけだろうか。 |