今週のおすすめ本 |
ブック名 |
田舎暮らしをしてみれば
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著者 |
林えり子 |
発行元 | 集英社 | 価格 | 580円 |
チャプタ | @「田舎」は子供のころからの憧れ A「田舎」の物件を見に行く Bそこは信州の過疎地 C「田舎」のエグゼクティブは凄い D残照が紅葉を燃やす里 E土地を手放す悩み F「お米」「ゼネコン」と「田舎」 G「田舎」で最初の御難 H「夜這い」についてのこもごも I自分が寝る分おうたら死ぬ J田舎の色難除けは何か K田舎にあった男の美学 L田舎の朝は早かった M人生最後の後始末,田舎の場合 N血縁ではない地縁というものの尊さ O村八分は協調精神 Pどんどん宅地化する田舎の景観 Qどこに眼があるかもしれない田舎 R農薬どっさりに嫌気をさす人もいる S有機栽培に生涯を賭ける青年 21田舎には人の生涯を見究めさせる何かがある |
キーワード | 田舎、忘れ去られたもの |
本の帯 | 生粋の江戸っ子である著者が,長野県佐久市の内山に,土地を買い,家を建てた。都会人が別荘をもって,優越感にひたるのとは違って,故郷を追われた敗者復活戦との意気込であった。・・・・ |
気になるワード ・フレーズ |
・口惜しいのは私ひとりと思うからますます口惜しくなる。人間,生きていれば,口惜しい思いを味わって当り前,皆んなそれに耐えているのなら私も耐えねば。 ・何でも一人でやらなくてはっていう緊張感が元気の素だと思う。 ・ボケるタイプは頑固者,人づきあいが嫌い,怠け者,職種でいうと学者,教師,公務員,専業主婦などで,ボケないタイプはロマンティスト,負けず嫌い,好色,大声で笑う人・・・ ・他人同士が「講」でもって新しく縁を結び,おたがいの人生最後のしめくくり,骸となったわが身の始末をたのむのである。 ・女たちの親睦はいずこを問わず「食」からはじまるということだ。話題にしても「食」から入れば円滑にすべりだし,あっという間に垣根のタケは低くなる。 ・人間を実物大に見ることを強要する都会の生活では,自分の分さえも見損ねてしまう。第二の故郷となった内山の村荘に座して,おのれの分際を見きわめようとしている私の眼には,原点に立ち戻りたいという潜在する願望が,彼らをして郷里へと向わしめるのではないかと映るのである。 |
かってに感想 |
「田舎」最近気になる言葉である。広島での生活は、あしかけ14年になるが、便利さや活気のある街から得るものもたくさんある一方で、昔から都会の雑踏はあまり好きではなかった。 何かしら「田舎」という独特の暖かみがある言葉に、年老いたらその暖かみのある中で暮らしてみたいという願望が常にあった。しかし、現実の生活は、どんどんとかけ離れていき、実際住居をかまえたところは、都会と田舎の中間どころという実に中途半端な状態である。 そして、田舎という言葉を気にかけながら、「快適田舎暮らしのすすめ」という本から、その暮らしを求めようとするならば、かなり前からの助走が大切なこと、「土いじりは心の癒し」「太陽とともに」「自然のきびしさ」「近所付き合い」といったキーワードがあることを学んだ。 今回の本は、 筆者の長年にわたる「田舎」へのあこがれ−テレビか何かで盆暮れに手荷物いっぱいで新幹線へ乗り込む人の群とか、高速道路の数珠つなぎの車の列とかを、見るとああも大変な思いをしてまでも帰る「田舎」とはどんなところなのか、さぞかしすばらしいところだろうと、指をくわえる気持ちになった−から「田舎」に第二の家探しを求めるところから始まる。 昭和30年代、私たちの少年時代のごく普通の小さな町にも、この本の最初にある次の童謡詩にあるような「兎追いし、かの山、小鮒釣りし・・・」といった「田舎」はごく普通の町にもあった。 それは、自分がどんなことをして遊んでいたかが、いくらでも思い出させるぐらいだから、面白くないことやけんかやいろいろあったが、ほのぼのとした楽しい毎日であった。 その遊びも自分たちで考え、自分たちで作ったり工夫したり、新しいルールを作り出して遊ぶ、お仕着せのものでない、単純で金もかからない、もっとも金もなかったが。 この本の中には、筆者が実体験しながら、ネットワーク作り、クチコミ情報の入手の仕方、いろいろな場面でのたよるべき人の選別、といった田舎生活でのノウハウが披露されている。 さらに、季節の変化とともにおとずれる自然の移り変わりが、筆者の巧みな文章に表現され、その季節の自然色が鮮やかにイメージできる、少しその表現を紹介してみよう。 「コスモス街道にふちどられた田んぼは、たわわに実った稲の穂が鮮やかな黄金色を放っていた」「わが村荘の白樺も翡翠色に透き通った葉をひらめかせはじめた」「野沢菜畑だけ常夏のいぶきをまきちらしていた。その葉の色はハイビスカスの葉に似た濃緑色・・・」「ちいさな原っぱに出た。すすきが白金の穂をくじゃくの羽みたいに広げていた、赤紫のアザミが・・・野性のオミナエシは黄色い房を可憐に振っていた」 いかがだろう総天然色の自然の情景がイメージできただろうか。 「田舎」は、日本人が昭和30年代以前に忘れたきたいろいろなものを思い出させてくれる。団塊世代以上は、だれしもあの懐かしい少年・少女時代にもどりたいと思っている。陽が昇るとともに行動を開始し、陽が沈むとともに一日の生活が終わる。 果して定年後の生活で、そんな生活ができるのだろうか・・・・と思いつつ。 |