今週のおすすめ本 |
ブック名 | 父の残した言葉 |
著者 |
吉村作治 |
発行元 | ポプラ社 | 価格 | 1365円 |
チャプタ | 7つのチャプタからなる @訓A智B義C財D時E夢F生 気になる小見出し @善人ぶるのはよしなさい A垢で死んだ人はいない B後かたづけでそのひとがわかる C悪口を言う奴は一円もくれない D時間厳守のこと Eバクのように夢を食って生きられたら最高だよ F千里の道も一歩から Gひとはみな不平等だからいい H死ぬ気になれば何でもできる |
キーワード | 家訓、縁、父と母 |
本の帯(またはカバー裏) | 私の生き方の羅針盤は職人だった父の折々の言葉 少し昔のひとは、こんなに豊かな言葉を持っていた・・・ |
気になるワード ・フレーズ | ・世の中には言うときは正しいことを言うのに、やるときは全く正しくないというひとが多い なかで、多少いきすぎてもいいひとのほうがいいように思うのですが、とかくいいひとは 損をするので、母はいらだつのだと思います。 ・私の父は、いったんそこを離れたら二度ともどってこられないという気持ちをもつべきだと 考えていたようです。ですから毎日仕事が終ると、絵皿や絵筆、その他の道具を丹念に洗い 箱に入れしまっていた。 ・今でも人を見るとき、そのひとの帰った後の机の上のかたづき具合とか、合宿のとき 調理をさせてみて、そのひとの動き、特に後かたづけの様子で、 そのひとのベーシックな能力を測ることにしています。 ・しかしいつも思うのですが、私は私のことで手が一杯で、他人のことを悪く言ったり、 欠点をあげつらう暇がないのに、どうしてそういうひとにはその時間とエネルギーが あるのかということです。 ・「何か心に決めたら、他人にすぐ言いなさい。言ってしまったあとやらないと、 恰好悪いから、いやでもやるようになるよ」 ・父は人間は生まれつき努力を嫌い、安穏としたところで留まりたいと考えている、 と信じているひとだったのです。 ・ふだんあまり死を意識していませんが、心がまえとしていつ死んでもいいように 最低限の準備をしておかないといけないと考えています。 ・母が常々「死ぬってことは、神さまや仏さま、ご先祖さまがもうこの世に いなくてもいいよ、ごくろうさまでしたと言ってくれることなのよ」と言っていた。 |
かってに感想 | 何となく気になったテーマ「父の残した言葉」。 自分自身が父の死んだ年に近付いてきた。 振り返ってみてわが息子に父として残すような言葉を発している・きたのだろうか。 そんなことが気になり、いささか反省をしながら買い求めた本である。 この本は、筆者が60歳を機に、15年前に亡くなった父の言葉を回想しながら。 その言葉をキーワードに自分の人生にどんな影響を与えてきたかが書かれたものである。 父はどんな人だったか。 ひとに問い、自分に問い、母に問い、そして父に問う。 そんな父への鎮魂歌のような詩から始まるのだ。 帯には、「羅針盤」にできるような父とか、 少し昔のひとは、こんなに豊かな言葉を持っていた・・・と書かれてある。 昔は誰もが職人だったのだ、職業に、仕事に、苦労して習得した技術に自信を持っていたのである。 だから、歯車のようなサラリーマン生活をしている現代のオヤジとは違うのだ。 思うに、筆者の父は職人でありながら、寡黙でも頑固でなかったことだけは確かである。 どちらかと言えば、父が将来をよく当てるという教祖・祖母の教えで娶った母の方が、 威勢がよくてことごとく父の反対をいい小気味いい。 読み始めは、文体がやさしいのに、なかなか次へと進まなかった。 乗ってきたのは、「夢」からのチャプタである。 特に「バクのように夢を食って生きられたら最高だよ」である。 なぜ主人公の口から、このような言葉が発せられたのか、もう少しくわしく書くと。 もともと筆者は、小学校4年生の時、 「ツタンカーメン王のひみつ」に感化されてエジプトに行きたいという夢を持つ。 そして、やがてその夢を実現し、やがて押しも押されぬエジプト学者へとなるのだ。 そんなことは、夢見る作治少年もこの先生も知るはずがないから面白い。 ある日先生にその夢を話すのだが、この先生、誠に夢がない答えをするのだ。 ようはそのためには「もっと勉強して大学へ行け」という。 これに対して「ツタンカーメンを発見した人は小学校しか出ていない」と吉村少年は言う。 これに対して「それは百年前の話、今は勉強して東大へ行きなさい」と言う。 さらに続く、少年があまりにしつこいので、この先生、親に会いに来たわけで・・・。 その時にこの言葉を筆者の父が発したのでございます。 そして止めは「やらせてみます」の言葉なのだ。 読みながら、この言葉にホロリときましたね。 この話から、「世界は広いなあ」、 「千里の道も一歩から」、「ひとはみな不平等だからいい」 「死ぬ気になれば何でもできる」へと続く話にホロリホロリとされてしまったのだ。 いくつも昔はあった家族の暖かい話。 その話から出てくる、父の言葉から筆者は生き方の多くを学んできたのだ。 終わりに、エピローグにある話をしたい。 この父は、かねてから尊敬する祖母の命日7月7日に死にたい願望があった。 見事、その命日に縁側で日向ぼっこをしながら、眠るように死んだのである。 このような死に方に興味をお持ちの方、息子からの評価が気になる方には、 是非一読をお勧めしたい。 ただし、自分が思う日に死ねるか、眠るように死ねるかどうかは保証のかぎりでは ありませんので、誤解のなきように。 |