今週のおすすめ本


ブック名 死ぬことが人生の終わりではない
インディアンの生きかた
著者 加藤諦三
発行元 ニッポン放送 価格 1200円
チャプタ
はしがき
@アメリカインディアンにとって生きるということ
Aアメリカインディアンにとって死ぬということ
Bアメリカインディアンにとって自然という存在
あとがき

キーワード 自然、死生観、仲間、妬み、変化、憎しみ、うつ、感謝
本の帯
アメリカインディアンは絶えず変化を受け入れます。人生を終えることさえも・・・。
そんなシンプルな生きかた、シンプルな死にかたに学ぶ。

気になるワード
・フレーズ

・今を生きていない人は、自分がやがて死ぬことも意識していません。生きるエネルギーがないから 死ぬことを考えるのも面倒臭いのでしょう。
・花を見て「今年もこの花は咲いたな!」と感慨にふけります。変化を受け入れる人は思い出のある 人です。変化とは生きている証です。変化がなければ人間はロボットと同じです。
・今の日本には、もう戻らない子供時代の無責任な気楽さにしがみついて不幸になる大人のなんと多い ことでしょうか。彼らはもうその時代は終わったのだという覚悟がいつになってもできません。 何歳になっても責任ある生き方を拒否しています。

・憎しみの大きな問題は、生きることから喜びを奪うということです。・・・うつ病の原因が、人が 楽しくしていると暗くなるというのは、憎しみがあるからです。憎しみがあっては人と楽しみを 分かち合えません。
・自己中心的な人は、全体の中での自分の位置などとは関係なく自分を考えます。
・表面が立派で心に不満がある人よりも、やりたいことをして満足して、「こんな私にも風が吹いて くれる」と感謝するような人は安らかに死ねます。・・・「善人なをもて往生をとぐ。いはんや 悪人をや」、まさに親鸞の言う通りなのです。

・人間として生きるべき場所と、死ぬべき場所を探せない人は不幸です。自分の行きたいところが なく死ぬのは不幸です。生きるということは死に場所を探すことでもあります。いかに死ねるか ということに人生の価値がかかっています。
・「生と死はサイクルの部分です。死は季節の変化の様に素晴らしいものです。歳をとっていること は秋の美しさと同じ様に素晴らしい」

・人に優越することを目的にして生きながら、魂の不死だけを学ぼうとしても無理です。

・「人間が一日の時刻や、月々のめぐりや1年間の季節などの変化によって動かされているという ことは、人間がその存在の基本条件において、すでにいかに分かちがたく大自然と結びついてい るかを示している」
・アメリカインディアンの工芸作品を特徴づける性質は率直で、簡素で直接的である点です。 すべてが自然で合理的なのです。
・悩んでいる人は小さい頃十分に愛されていないという欠乏体験があるからです。調和するより も優越することで、心をいやそうとする習慣が身についてしまっているのです。

・相手に気に入られなければ生きていけない弱さこそ憎しみの原因なのです。
・神経症の人は自分に囚われています。だから、自然が自分に語りかけていることに気がつき ません。自分以外のものに関心を向けることができません。
・死について積極的な心がまえができれば、自分の老後に対する考えかたも違ってくるはずです。

・誰かに判断をくだす前に、その人のモカシン(インディアンの革靴)を二週間はいて歩いてみまし ょう。


かってに感想
店頭にベストセラーとして「アメリカインディアンの教え」という本は、かなり前からあった。
ベストセラーになると、二匹目のドジョウということで、続編、さらに続々編が出ている。
この本もセオリーどおり続々編まで出ていたようだ。ベストセラーは流行を追うようであまり読まないようにしている。
私の場合、自分の人生のキーワードにより本の購入をしているからだ。

今現在の「老い」「死生観」というキーワードからいうと、購入に該当する本ではあるが、なぜ買わなかったのだろうか?
いまさら「教え」という教訓じみた本は、ということで敬遠したのかもしれない。
今回のこの本は「死とか人生」が、私のざるのような網の目に引っかかったようだ。
インディアンも日本人も基本的に先祖を大事にする生き方をしてきたことでは同じようである。

読みながら、ほんの少し出てくるが、親鸞の「悪人正機説」、宇宙意識とか、輪廻とか、禅とか。
自然の中に生きているというか、生かされている人間もその一部に過ぎないと思うように なれば、ということのようだ。
あとがきにもあるように「私達は技術の進歩と社会の変化の中で人生の本質的な問題を見失い、右往 左往しています。このような時代だからこそ、安んじて生き、安んじて死んでいくためにアメリカ インディアンの死生観を考えることの意味があるのではないでしょうか」ということなのである。

「安んじて生き、安んじて死んでいく」、それを阻害するものとして、いろいろなことぱが出てくる。
「誰も分かってくれない」「利己主義」「憎しみ」「妬み」「なぜわたしだけが」「物欲」 「優越」「上昇志向」「仕事中毒」「執着性格者」

競争社会に生きている現代人にとっては、いずれのことばも思いあたるフシがあると思う。
私自身でもう少し加えるなら、「何かを残したい」「目立ちたい」「肉体的に若くありたい」 「優越感にひたりたい」「自己主張をしたい」等々
これらの言葉に煩わされている限り、神経症になったりうつになったりする、 その結果、人間として生きる場所も死ぬ場所も分からないで不幸な一生で終わるということなのだ。
「死ぬことが人生の終わりではないインディアンの生きかた」7カ条の教えのひとつで言うならば。

「あなたがうまれたときに、あなたは泣いていて周りは笑っていたでしょう。 だから、死ぬときは周りが泣いていてあなたが笑っているような人生を歩みなさい」という人生であって欲しいということなのだ。
そのためには、「仲間」と「自然」が人間の幸せのキーワードになるという。この二つに対する 愛や興味が人を幸せにするということ。

最近ふたつの事実から特にそう思っている自分がある。
ひとつは、ウォーキングを兼ねて、なんの気なしに始めた駄句作りである。
不思議なのは、朝田んぼ道の散歩コースを40分程度歩くと、人工的な都市の中にいるとほとんど感じなかった 錆びていた五感が蘇ってくる。季節に応じた虫、鳥、雲、太陽、魚、草、花、木が忙しない 私にいろいろ語りかけてくれる。
すらすらと、駄句が出てくるからほんとに不思議なのだ。

もう一点は、インターネットを通じての人との付き合い、 ご縁があった人との小さなネットの付き合いを通じて、しみじみと感じている。
45歳をすぎて、一過性の仕事仲間ではなく、ご縁があれば続けられる仲間とのネットワーク 作りを始めた。まさにこの教えの通りなのである。
まだまだ自然体での付き合いにはほど遠いのが気になるが、自分の中に自分が自分がという気持が なくなればさらに調和のとれたネツトワークになるような気がする。

自然がエネルギーをくれているなと感じているのはネット付き合いでもう一つある。
メルトモの中にいる登山をしたり、ウォーキングをして直接自然と接している人は、いつメールをもらって も元気なフレーズを分けてくれるのだ。
そして、あえてもう一つ言うならば「少欲知足」で「こだわり」が捨てられるかということのようである。
おわりに、欲望の渦巻く中で生きている現代人にとって、この書で言うように、 素朴にとか、簡素に生き、そしてひっそりと、死ぬなんてのはとても耐えられないこ とのような気がするが、 そんな人におすすめしたいのは、まずは一度自然の中に自分を置いてみて欲しい。そうすればきっと何かが見えてくるはずである。



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