今週のおすすめ本 |
ブック名 |
大江戸ボランティア事情
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著者 |
石川英輔・田中優子 |
発行元 | 集英社 | 価格 | 619円 |
チャプタ | 序章:ボランティアのいない社会
@長屋暮らし Aお師匠さまの学校 B火消しと町の暮らし C旅はなさけ D村の民主主義 E大家さんは大忙し F連は楽しいからみ合い Gご隠居さんの活躍 終章とあとがきを兼ねた対談 |
キーワード | 真の豊かさ,人間関係,笑い,生きる上での価値基準,ネットワーク |
本の帯 | お上を頼らず金かけず幸せに生きる江戸の知恵,訴訟,教育から火消しまで,江戸庶民の創意と情を碩学二人が魅力一杯に紹介 |
気になるワード ・フレーズ |
・伝統的な日本の社会は,基本的にはボランティアが支えていた。町内や村内の人の全部が何らかの形でボランティアだったといっても大げさではない。お金がなくてもそれなりに楽しく気楽に生きていられたのは,そのせいもあった。 ・他人に教えられ,他人の作った道具をあてがわれないと,自分で遊ぶこともできなくなったのは,要するにお金以外の価値がわからなくなったためではなかろうか。豊かになった代償として,私たちは,お金以外の価値基準を失ってしまったのである。 ・収入を増やして,人間のきずなを断ち切ってゆくという方向・・・金銭のやりとりを通して,職業や学歴や社会的立場だけでとらえるよえになった。こうなると社会は硬直し,何らかのネットワークが出てこない限り,一人ひとりの精神の衰弱がはじまる。 ・「きずなは強いが結束しない」「相手を感じ取り必要なときには助けるがおせっかいはしない」「助けてもらうことはあるが依存しない」という呼吸を私たちは失ってしまったのかもしれない。 ・まったく自主的にしかも経費らしい経費もかけずに,いつの間にか大勢のボランティア的な多種多様な教科書を作り上げ,世界一の識字率を達成してしまった。 ・泉光院日記を読み進むうちに漠然とわかってくるのは先祖たちは,金銭や物に対するわれわれと同じ欲望のほかに,もう一つ別の価値観を並行して持っていたらしいということだ。その価値観の内容をはっきり説明することはできないが,単純な慈悲心や親切心ではなく,西洋式の奉仕の精神とも違う。 ・現代のボランティアという言葉はともすると,強い者から弱い者への援助のように響き,援助する側のナルシズムをくすぐる。しかし,日々現実問題として労力や道具の貸し借りが必要な村では,実際に作業が進むのであれば,貸借でも援助でも良いのであって,長い時間のうちに終始が合ったはずだ。 ・江戸時代の女性像は美人に偏らず,それとともに時にはそれ以上にお多福を大切にしていた理由も,笑いが社会的価値として重要視されていたからである。笑いは商売になることもあったが,必ずしもそうではなく,笑いは値段がつけられない価値だった。 ・隠居してから活躍するタイプの人は,引き際がきれいな場合が多い。オーナー経営者でもないのに,死ぬまで代表権にしがみついて老醜をさらす経営者が多いのは,会社で権力振るう以外の楽しみを知らないからだ。要するに無教養なのである。 ・豊かであれば立派なことができるというなら,昔の金持ちご隠居さんなみに面白いことをする人が百倍いても当然なのに,私の偏見かもしれないが,引退後が経済的に恵まれている人ほど,ボランティアとはかけ離れた無益な生活をしているように思えてならないのだ。 |
かってに感想 |
江戸時代といえば思い出すのは人物・制度それともなんだろうか。私の場合,徳川家康,封建制度(士農工商の身分制度),鎖国,寛政・享保・天保の三代改革等といったところだろうか。 一方で,戦国時代という殺戮の繰り返しから,250年という平和な時代と鎖国による日本独自の文化を作り上げたことは以外と忘れられている。 21世紀高齢化社会を迎えようとしている日本にとって,心の豊かさを求めようとしている現代人にとって,江戸時代にはその見本が多くあるようである。今の状態に拙いことが多いのであれば,「歴史に学ぶ」と言われるように,江戸時代のいいものを吸収すればいいのではないか 江戸に「お」をつけても似合うが東京に「お」をつけても似合わない。いまだに「江戸っ子」という言葉があるように「東京っ子」といってもピンとこない。大江戸はおおえど大東京はおおとうきょうとは言わない。といった具合に、江戸という言葉には独特の響きがある。 本の帯にもあるように「お上を頼らず金かけず幸せに生きる江戸の知恵」,金に固執する私たち,お上に頼りすぎる現代人にとって,21世紀を迎えるにあたって古くて新しい方向性が,江戸という時代には何かいい知恵が溢れているような気がして読んでみた。 それぞれのチャプタごとに,長屋,お師匠さん,火消し,旅,村,大家さん,連,ご隠居のキーワードで話は展開していく。 どの言葉の内容・仕組みも,人間同士のきずなに頼らず,ツールに頼りすぎる効率・スピードをよしとする管理社会に住む私たちは,もう忘れかけたものばかりである。 島国根性といわれるかもしれないが,日本の独自性は,なにかしらこの時代のこのキーワードにあり,21世紀の指針がこの中で見出せるのではと思えるのは私だけだろうか。 では現代のいろいろな分野でのてずまり状態をあげ,チャプタごとにある学ぶべきフレーズ等を少しここで紹介し,あとは気になるフレーズに載せたい。まずは,「隣は何をする人ぞ」といわれる現代,これには「長屋」から,「向こう三軒両隣」といわれた時代の人間のきずな,相互扶助,依存しない,そして決してお上を頼りにしていなかったことが浮かび上がる。 いじめがはびこり授業が成り立たず学級崩壊という言葉まで生み出している現代の教育制度,これには「寺子屋」から,「ボランティア的な教師と多種多様な教科書を作り上げ,世界一の識字率を達成していたという」今は先生と言われながら、その権威さえ自分の職務の誇りさえ失いかけているが、江戸時代の教師には日本的ボランティアの本質がうかがえる。 もうひとつあげるならば,高学歴者で社会的に地位の高い人たちの不正がなくならない現代,これには「隠居」から,私が知らない多くの活躍した人の名−野田泉光院,夏目成美,佐原鞠塢、亀田鵬斎、大窪詩仏、伊能忠敬、…−が出てくるが,いずれもいつまでも権力にしがみつかない,その「引き際」のきれいさに感銘する。 タイムスリップして一度はいってみたい大江戸と言ったところでありましょうか。 |