今週のおすすめ本 |
ブック名 |
海も暮れきる |
著者 | 吉村昭 |
発行元 | 講談社 | 価格 | 539円 |
チャプタ | 15のチャプタからなる |
キーワード | 死,恐怖感 |
本の帯 | さすらいの俳人・尾崎放哉の壮絶な死。咳をしても一人,之でもう外に動かないで死なれる肉がやせて来る太い骨である。いったんエリートコースを歩みながら,やがて酒に溺れ,美しい妻に別れを告げ流浪の歳月を重ねる。小豆島で悲痛な死を迎える放哉の生涯を鮮烈に描く。 |
気になるワード ・フレーズ |
・外見上,世を捨てたとみえても,かれらが世捨て人とは思いませぬ。よくて半捨て,中には自ら捨てたと思いこむことによって世間に甘えている者もいる。大半の者がそうだと言っていいと思います。(宥玄) ・放哉は,句をまとめて俳誌「層雲」に送ることを繰り返していたが,自分の気持ちが冴えた形で表出されるようになっているのを感じていた。病勢が悪化してゆくのに,句が生色を増してゆく。自分の内部から雑なものがそぎ落されているような気がした。 ・一生<句集>ナンカ作ラヌ,<過去>,何スルモノゾヤ,吾人ハ前進アルノミ,<過去ノ句>ナンカ,ナンノ足シニナリマスカ ・かれは,ただ句作するだけでよく過去に作った句をまとめて一冊の本にすることになんの関心もいだいていなかった。旧作は自分にとって脱穀同然で,かれは新しく少しでも秀れた句を作り出すことに生甲斐を感じていた。 ・かれは胸を熱くした。ふとんの中で,手を合掌の形でにぎった。顔をそらし涙ぐんだ。ありがたいありがたい,と胸の中で繰り返しつぶやいた。羞恥で体が熱くなっていたが厠に行かずにすむごとに深い安堵を感じていた。 |
かってに感想 |
「海も暮れきる」久しぶりに吉村昭の作品を読んだ。 主人公は,俳人尾崎秀雄,雅号放哉,私はこの人物を知らない。 彼の作品のなかには,歴史上裏方で活躍した人物を主人公にした物と死とか死生観をテーマにしたものがある。 この作品は,職を失い,妻とも別れ,俳人のネットワークを頼って,流浪の旅から小豆島に移り,肺結核に倒れて最期を迎えるまでの主人公の8カ月間を描いている。 なぜこの人物を描いたのか,筆者自身も20才のころ肺結核を患い,病床で彼の俳句作品に出会って共感し,「死への傾斜に怯えつづけていた自分自身を見つめ直したかった」とあとがきにあるように,特に死への激しい恐れ,それによって生じる乱れた言動を描写したかったのだという。 読み手にとって実に重いテーマであり,描かれる主人公に少しでも明るい兆しがあれば違うのだろうが,ひたすら死を迎える人物の恐怖する心をするどく繊細に描きつづけてようとしているのである。 病状を自分で分析しながら,生きたいと思う一方,もう助からないと思い,東大を出て一流会社に就職しながら流浪し,酒を飲んで乱れる自分に情けなさを感じながら,生活費,医療費も稼げないため俳句のネットワークを頼って金を請い。 金がないため,寝たきりになっても,他人にできるだけ頼らず,庵主としてお遍路さんが落としていく賽銭で暮せる日を楽しみにしていた主人公。 便を催しても死の間近まで這って行き,金がかかるからと友人に結核の注射器を送ってもらい自ら直前まで打っている姿,家族にその姿を知らせることもなく看病を頼むことすらしない。 気の弱い私のような人間には,とてもマネができない。 少し気が休まるのは,話の展開の途中途中に体調の良し悪しにかかわらず,自然とかその時の心境を描いた俳句の作品と俳句仲間の訪問と金銭面の支援,やっと得た南郷庵という終の住み処で,西光寺住職と近所のおばあさんシゲとのやりとりにとても暖かいものが感じられることである。 また,家族に捨てられた彼にも,死後,便りのなかった妻が主人公の死に直面し激しくなく姿に少し救われるものがあったような気がする。 そして,主人公の生まれ育った地が鳥取であり,小説の舞台が小豆島,自分が少し住んだことがあるというだけで,なんとなく身近に感じられるから不思議でもある。 おわりに彼の最期の句と西光寺南郷庵のよこにある句碑に,「はるの山のうしろからけむりが出だした」「いれものがない両手でうける」がある。主人公の壮絶な死にざまをイメージしながら,私の心の中に,かならずこの寺・庵を訪問してみたいという気持ちが湧いてきた。 |