今週のおすすめ本 |
ブック名 | 医者の目に涙ふたたび |
著者 | 石川恭三 |
発行元 | 集英社文庫 | 価格 | 500円 |
チャプタ | 10編抜粋 @早朝の車中放談 A還暦 B癌よ、ちょっと待ってほしい C青天の霹靂 D無念の死 E人間、万歳! F妻よ一足お先に G母を残しては死ねない H小さな神様との出会い I最後に笑えた人 |
キーワード | 医者の死、宣告、予命の生き方、インフォームド・コンセント、死に方、楽しみの見つけ方 |
本の帯 | 命の際に記された「想い」患者と共にした臨床医の感動エッセイ |
気になるワード ・フレーズ | ・「あら、貴方、来年還暦ねえ、嫌あねえ」などと言われたときなどは、 もう全身の血液が一瞬のうちに家内に抜き取られたような気分になったりしたものだが、・・・ ・つい最近になって、還暦の会は一種の生前葬ではないだろうかと考えるようになった。 ・「ええっ、半年ですか」大東さんは絶句したままめを閉じた。見ると目蓋が小刻みに震えていた。 ・・・膨大な将来設計を大急ぎで早めくりしているように私には思えた。 ・この世の中は一寸先は闇、いつ何どき何がおこるか判らないと判ってはいても、まさか自分や 自分の周辺に滅多なことはおこるまい、と私たちはそう信じて日々を安穏に過ごしている。 ・絶望のどん底に投げ込まれた人がそこから這い上がれるか否かは気力の大きさにかかっている。 ・私たちは一方的で限られた情報をもとに、勝手に想像して人を悪人や善人に仕立て上げて しまうことがよくある。 ・このような日には、とびっきり上等のできごとなどと贅沢なことは言わないが、せめてわずか でもいいから心を和ませてくれるようなできごとがおきてほしいと思った。 ・人間の一生のあいだのプラスとマイナスを見てみると、まあそれなりに帳尻が合っていること が多いのではないだろうか。すべてがプラスのように見える人にも、他人の目には見えない ところにそれに匹敵するぐらいのマイナスを背負い込んでいるかも知れない。 ・私はうつ傾向の人には暗い部屋に閉じこもっていないで、できるだけ明るいところにいるように して、そしてできるだけ笑顔を絶やさないようにすすめているのだが。 ・「生まれては死ぬるなりけり何者も、釈迦も、達磨も猫も杓子も」(一休) |
かってに感想 | 19編からなるお医者さんが書いたエッセイである。 かつて読んだ、鳥取赤十字病院の先生:徳永進著「やさしさ病棟」を思い出している。 多くの人は最期の時を病院で迎える。 必然、お医者さんは多くの人の死を看取ることになる。 仕事とは言え辛いことばかり、病院には明るい話題というのが少ないのもいたしかたがない。 そんなハードな仕事を離れたところに、ささやかな楽しみを見つけている3つのエッセイ。 それは、趣味で始めたエアロビクス教室での話、通勤電車の中でのおばさんたちの会話、 そして、帰りのバスの中でのそれぞれのお客の会話と行動。 人間年を取ればいろいろな病気を患う。 そこにはいろいろなドラマがある。 突然倒れて言葉が不自由になる脳卒中・脳出血、 身体の不調を訴えて病院を訪れ、精密検査をし癌が発見される。 その癌を告知するかどうかの医者の迷い、家族との相談・判断、そして筆者からの宣告、 インフォームド・コンセント、手術を選択するのは患者であり、家族。 予命を知らされ、戸惑う患者、その所作を見て、励ます筆者。 予命に自分のやりたいことを成し遂げる患者たち。 再起が難しい患者、限られた生命を精一杯生きようとする患者の中には、 社長業を妻に教育する人、倒れる前の自分の仕事に見事復帰する人、 どの話も涙をさそうが、妙に心は温かいものに包まれてしまうのだ。 とはいえやがて、心がみたされた患者に死が近づき、臨死に立ち会う筆者。 一般の人たちの死とは別に、お医者さん達の死も描かれている。 大腸ガンの専門医でありながら、自分の大腸ガン発見が遅く、死に対する 恐怖心を告白する医師、若くして志し半ばで癌の宣告を受け、余命の 少ない期間で博士課程論文を仕上げる医師等、 「医者の不養生」と言えばそうなのかもしれないが、筆者が死はだれしもやってくるという 言葉に重みが感じられてくる。 そんな中でも、死の恐怖を訴える医師に筆者が、話したフレーズが印象深い。 「人間、誰しも死ぬんだよ。それが少々早いか遅いかの違いがあるだけだよ。誰だって 死ぬのは怖いんだ。君だって沢山の人が死ぬのを見てきただろう。でも最後はみんな、穏やかに 死を迎えていたのを君も知っているよな。死に損った人はこれまで誰もいないんだよ。 みんな、穏やかに死を迎えるものなんだよ。死ぬことは心配するほど難しくないんだよ」 話は変わって、人の心はなかなか変わらないものと私常に思っていたが、 こんなこともあるんだというエッセイ。 それは、「小さな神様との出会い」、狭心症を心配して訪れた患者が話しはじめた過去の自分から 立ち直った話。人間やはりいつでも変われるきっかけはあるのだと思う。 ただそれをそうだと思えるかどうかなのだろう。 一方で、選択誤り?命を短くして終わった人。 そして、実に重苦しかったのは、「母を残しては死ねない」 で、いつも母に振り回されてきた娘が、お互いが年をとり、 母の退院に際して、母(83歳)娘(65歳)が心情を吐露するフレーズ、 特に娘のフレーズ「正直申し上げて、今度ばかりは母に死んでもらいたいと思いました。 もし、私が先に死ぬようなことになりましたら、母はどんなに悲しい思いをすることでしょう。・・・ 何としても私が死ぬ前には死んでほしいんです」 過去の縁談はことごとく母のために破談されてきた娘の、せめての願いがこの「何としても」の言葉に表れているのだ。 いろいろなドラマを眼で仮想体験し、おのれはどんな死に方をするのだろうか、いまだにイメージはできていないが、 この7月、長い寝たきりの生活に終止符をうった母は、そんな私に、 「死ぬことは心配するほど難しくないんだよ」と死に方を実演してくれたかのようでもある。 |