ブック名 風の良寛
著者 中野孝次
発行元 集英社 価格 1365円
チャプタ @なぜ良寛か
A良寛に惹かれ
B無為
C修行(1)
D棄てるということ
E愚の如くして道転寛し
F生涯,何の似る所ぞ
G情の深さ
H修行(2)
I生を楽しむ
J弱い身にもかかわらず
K天真に任す
L晩年の花やぎ
M現代と良寛
キーワード 優游,禅,棄てる,正法眼蔵,道元,無為,騰々(とうとう),瀟灑(しょうしゃ)
本の帯 文明が進歩すれば人間は幸せになる,というのは間違いだ

気になるワード
・フレーズ
・ふつう人間が所有を望む所で彼は棄てることを考える。われわれは人を判断するにあたって,彼がいかなる所に所属し,何をしている,何を為したか,つまり有為を規準にするが,良寛は寺にも村にも,宗教の集団にも,何にも所属せず,すべての存在との繋縛を絶って弧としてある。
・現代人にとっては最も実現しがたい心の状態を,良寛は何もない草堂の暮しのなかで味わっていたのだ。今の人は多忙な人間ほどえらい人,重要な人と思いこんでいる。
・文明が進歩すれば人間は幸福になる,というのは間違いであった。テレビなんてものができたために人間は途方もなく浅薄になった。人生を自分一人の力で味わう力がなくなった,とでもいうしかあるまい。
・ものの所有には自足することがなくつねに他人の所有と比較することになるから,他人が自分よりいい物を持っていればそれ以上の物を意欲する。
・良寛はそういう心細さに決して雄々しく堪え通したのではなかった。辛い,苦しい心細い,と嘆き嘆き,自分の弱さをさらけだして,ようやく凌いだのである
・良寛の時代の人々は,自然に対してはまずそれを受け入れることを考えたのであった。自然を受け入れ,堪えがたくとも堪え,自然と融和して生きる。良寛という人それを哲学として原理化していたのだ。
・「優游復優游薄か言に今晨を永くせん」(何も急ぐことはない,静かに,ゆったり,落着いて,「今ココニ」生きている時を大事にしよう)
・身は老い,あるいは痛み,死を意識せざるを得なくなってみると,あんなに多忙に働いていたことどもは空しく,しずかに春を迎え,花をたのしむ,このひとときこそが人間の生きている時だとわかった,と言う気持ちである。
・有をありがたいと感じるには,無を体験しなければならない。ごくなんでもない当たり前のこと,たとえば自分が今日も生きているということを,ありがたい仕合せと感じるためには死を,どんな形でにしろ,体験しなければならない。死の恐怖,死への嫌悪があってはじめて生のよろこびがある。

かってに感想 「良寛」という名で思い出すのは,童と一緒に毬つきをする心やさしい人物像だ。
この本は良寛が詠んだ漢詩・長歌・施頭歌・短歌を解説し,現代人にない貧乏(托鉢)をベースにした良寛の生活ぶり,人生哲学を紹介しながら,反省を促す書といえる。
ただ私の場合,漢文や文語体を見ると頭が痛くなる,果てしなき欲望を追い求める現代人にとって,いい教訓が一杯なのだろうが。
したがって,読み終えるまで,かなり苦しんだ。筆者が「現代はおよそ苦しむことを絶対悪のように見なし,苦の原因はたちまち排除されるがその代償として,自然の与えるよろこびを享受する感性は,便利・快適になった分だけ薄くなっている」というように,そういった意味からすれば非常に意義のある読書であったと思う。
先人に学ぶことの大切さを改めて知ることができたことも事実であるが,私の場合,まちがいなく良寛さんのようにすべてを棄て,その日が暮せればいいという心境にはとてもならない。
これは中流意識の強い日本人にとっても,いまさら冷暖房なしの貧乏な生活には戻れないし,老後や将来設計に備えて貯蓄をすることをやめることはできないのと一緒である。
日本人はそんなに贅沢三昧のできる国民ではない,たいていの人が年をとるに従い,不便さ不快適さも大切なことであることもわかってくると私は思っているのだが・・・甘いのかな。
ただ,最初のチャプタで筆者が「真の幸福は悟道とむすびついているのなら,貧乏にならぬ現代人はついに真の幸福と無縁であるのか」の疑問を発していたが,その答えは自然に眼を向け,死生観を体験せよということのようであった。
仮にこの時代に良寛さんが生きていたならどうしたであろうか,当然のことながら宗教の世界の坊主たちに嘆くだろうが,同じようにすべてを棄て托鉢で生きていくのだろうか,ある意味で,ホームレスの人たちは真の幸福を享受しているのかもわからない。
少し気になることがある,それは筆者がインターネットにかなりの嫌悪感を覚えているということだ。
死への体験を説きながら,インターネットなるものを体験したことがあるのだろうか気になる,「人種・年齢・性別・国・貧富・体の自由・不自由」の差を超えて新しいものが見えてくるのではと私は期待しているのだが・・・特に障害を持つ人にとってはITそのものが支援のツールとなるのは間違いない。
ただ,日本では21世紀は「心の豊かさ」が求められると言われながら,外圧に左右されすぎて,日本としての21世紀へのグランドデザインが描けないまま,とうとう21世紀になってしまったところが気になるところだ。
20世紀末には不可解な新興宗教がはやって終ってしまい,既存の宗教は精神的に荒んだ現代人に何ら示唆する力もなく終ったように思える。
筆者は「ではなぜ,そのゆたかになった社会に生きる自分たちに真の幸福感が薄いのか」と言っているが,中流意識の強い日本人にとってかなり幸福感では満足しているのではないかと私は思っている。それはこんなに政治家や政治が腐敗していても,不景気でリストラが行われても,それなりに多くの人が堪えている姿があるからだ。
現実に消費が伸びなかったり,少しでも安価な商品・店舗に足を運ぶ日本人をみれば,それなりに節約意識が強くなっているのは事実である。
ただいまだに成長率だけを追い求め・既得権にしがみついて金を使うことに意義があるとする古い体質の政治家たちの愚かさだけが浮き出ているような気がするのは私だけだろうか。
では,私がこの本で何を学んだかというと,際限のない欲望を追い求めるのではなく「少欲知足」ということになるだろうか。
さらに自分に厳しい良寛さんでも少しほっとするのが,晩年の「貞心尼」との心の触れ合いと自分の弱さを常にさらけ出しているところが大大好きである。

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