読み感
  • 夏樹 静子作:椅子が恐い
サスペンス作家がなぜこのようなテーマの本を書いているのか,と不思議に思ったことと,「腰痛」という二文字に興味を覚えて読んでみた。私自身も5年前から腰痛に悩まされ,いまだ完治しているとは言えない。なかよくつきあっているというところであり,いまでも長時間椅子に座っていたり,新幹線で 東京へ出張するときなど,覿面オランウータン姿勢,妻に言わせれば,へっぴり腰のままの歩行がしばらく続くことになる。
作品には,20を越える医院・病院と世に言う名医という先生たちが登場してくる。その分野と治療方法は,東洋医学,西洋医学に関係なく,超能力・霊の世界も含め,ありとあらゆるもの,そして名医たちはそのたびに診断を下す。黙ってそれに従う筆者,しかし一向に改善しないというより,より悪くなる「腰痛」に対する筆者の苦闘を生のまま表現している。登場する治療法には鍼,気功,ヒーリング,薬物,電気治療,御祈祷,水泳,遠赤外線とその数にも脅かされるが,最新鋭の電子機器を使用しても肉体的な欠陥は一切見つからないのに,なぜ精神的な要因にたどりつかなかったのか。やはり,いまだにメンタルな面から身体へ影響がでるとはほとんどの人が考えられないのではないか。医師でさえこういった状態だから,病人はなおさらである。せいぜい胃潰瘍程度の理解しかない。
治ると思われる物にはすべてチャレンジし,治そうという筆者の執念,怨念はすさまじい。冒頭の救世主の平木先生がいつ登場してくるのか。やっと第5章で登場した時には罹病してから2年半もの月日が経過し,平木医師の診断結果は,思いもかけない「心身症」からきている腰痛という。筆者も病気の要因はサンペンスのように推理調査できなかっただろうが,読み手の私も全く想像ができなかった。事実,私の妻も「心身症」と診断され,通院ではあったものの,その治療は半年以上にも及んだ。 心の病(ストレス)が原因で体が痛くなるなど私自身も考えられなかったから,私も妻もそこにいきつくまでに,病院数箇所といわゆるおやまの和尚さんの門までたたいたのである。この作品の中での圧巻は,自律訓練や絶食療法での平木先生とのやりとり,そして本人ともう1人の自分とのやりとりであり,病気は老若男女を問わない,病人の真実の叫びであるカルテの生の声には臨場感がある。
筆者自身がこの経験で学んだひとつに「人間の中には自分の知らない自分が潜んでいて,その自分(潜在意識)が人間全体(表)を支配することもあるということ。」があるが,妻との経験の中でも最悪の状況のときに,神懸かり的な妻を見てこれはもういままでの妻ではないと感じながら,自分ではどうしようもない歯がゆさを覚えていたことを思い出している。潜在意識が表を支配すると治療は一層困難であることがよくわかる。
また,筆者が平木先生と巡り会うまで2年半かかったが,それが再スタートのきっかけになり,半信半疑ながらも身を委ね,それを常に暖かく受け入れる先生も素晴らしいが,治癒するまでの筆者の頑張りにも敬服する。それと同時に平木先生の言葉の中にある「ゆったりとした時間にもしあわせがある。」「有意義に生きることは何もとりたてて立派なことをするだけではない。」のフレーズは,急ぎすぎ効率化ばかりを求め,何かしていないとあるいは常に動いていないと気が済まない,現代人への多くの忠告が入っているような気がしてならない。


・老いへもどる