読み感
  • 岬龍一郎作:お金持ちより時間持ち
トンネルの出口が見えない景気低迷が続き,最近出版された本の中には時代を反映し,「節約生活のススメ」といった本がベストセラーになっている。
 この本は,プロローグが童話を引用した「アリとキリギリス」で始まり,第4章には 「ウサギとカメ」が登場する。現代人の生活を童話で例えながら,先人の声に耳を傾け学び,テーマにあるように金欲・物欲から脱して,時間持ち,ココロ持ちになろうというものである。
 多くの気になるフレーズがあり,編集者自身も大きな刺激を受け,自ら生き方を変えようとしている。
 筆者は,戦後の日本人が効率を優先した科学的経済至上主義を掲げて進んできた道が,いま現在,大きな壁に当たり,世紀末現象−環境汚染,ストレス,金権腐敗,倫理観の欠如,ストレス,・・・−として現われていることを強く意識しながら,今日まで歩んできた道を分析し,この時代にわれわれはどう生きるべきかを示唆する著書である。
 効率優先の社会は,ゆとりとか遊びというものを削ってしまい,個人の利益・個人の欲望達成のみしか考えない人間を多く製造してきた。年を重ね,あるいは大量失業・リストラ時代を迎え,ふと自分の人生を振返った時,いままでの人生のむなしさを感じている40代・団塊世代の人は多くいるのではないだろうか。
 ただ,いったん大きくなった欲望をすべて過去の状態に戻すことは困難である。要は「少欲知足」なのであるが,レール上を忙しく走り続け,欲望にたっぷり浸かっている私たちには,生き方について考え直すことなく,ただ漫然と老いを迎えてしまうのではないだろうか。
 確かに筆者のように病気や友の突然死がきっかけとなったように,だれしもそれぞれに考えるきっかけは何度かめぐってくる。しかしながら,その機会に要は自分自身が気付き,過去の生き方を振返る以外にないのである。
 筆者は,自らの体験をもとに,多くの先人−橘曙覧(たちばなあけみ),ヨハン・ホイジンガ,良寛,新渡戸稲造,福沢諭吉,吉田兼好,西郷隆盛,孔子,老子,荘子等−から学び,それを披露している。これを読んで編集者のように自分自身の考え方・生き方を変える人もある。繰り返すが,この本を読んだことがきっかけになるかどうかは,いま現在の自分の生き方に疑問を持っていないと変わりはしないのである。
 先人の中で,特に江戸時代末期を生きた歌人橘曙覧と乞食坊主良寛の生き方・考え方にこころを動かされているようである。二人の生き方を紹介しながら,どこに心が惹かれたかに多くの紙面がさかれている。
 まず曙覧に関するフレーズを紹介すると「私はこの橘曙覧が好きで,できうればこの人のような生き方がしたいと思っているのだが,とくに学びたいところは,どんな境遇にあっても『愉しさ』を求めたその心持ちである」「嘘をつくな,物を欲しがるな,骨身を惜しむな」「曙覧の歌はどの歌をとっても名声を得ようとか,他人との幸福感をくらべようなどという視点はない。あるがままの状態をあるがままに歌い,そのあるがままを愉しむのである。だから世間に対する不満も愚痴もまったく出てこないのだ」
 さらにその歌を三首ほど紹介してみると。「米の泉(ぜに)なほたらずけり鵜歌をよみ文を作りて売りありけども」「たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来りて銭くれし時」「たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時」である。少しでもその雰囲気を感じてもらえただろうか。
 次に良寛に関するフレーズを紹介すると「良寛は素朴な農民が好きであった。圧政に耐えながらも,黙々と土とたわむれ,これが自分の仕事と『分』を極め,不平不満をいわず,そうした日常で満足している。農民を見るとき,良寛はそこに仏を見ていたのである」「良寛は僧の形に身を包んでいるものの,経も読まず,道も説かず,まるで地蔵菩薩のようにただ飄然と存在したのである」
 さらにその歌を三首ほど紹介してみると。「心こそ心まどはす心なれ心の駒の手綱ゆるすな」「憂きことのなほこの上に積もれかし世を捨てし身にためしてやみむ」「何故に家を出でしと折りふしは心に愧(は)ぢよ墨染めの袖」
 そして,死生の句「うらを見せ表を見せて散るもみじ」である。
 現在の自分を振返る時,先人の声に耳を傾けることは大切なことである。考えるきっかけを生かし,自分の人生を問い直してきた筆者には余裕さえ感じられる。  ただ先人の言葉の引用が多くありすぎ,日ごろ使っていない頭がいささか疲れるが,それさえ耐えられれば,考えるきっかけ作りを十分に与えてくれる本である。
 


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