読み感 |
いつも行く書店で,文庫本ということで何気なしに手をさしのべた。その本の副題にある瞑想という言葉と序章の朝旦偈辞(ちょうたんげじ,この意味がわからない)の中に「やれ神だ仏だ,といっている者は,安直な気休めを人生に求めている哀れな人だといわざるをえないのだ」「第一,もし,あなた方が考えているような神や仏がこの世の中に存在したら,この世界に戦争などあろうはずがないではないか」「神仏に対する信仰は,いつも自己本位な自分の生命や自分の運命の安全ばかりをこいねがうだけが目的になっていはしないか・・・そのような信仰を持っている人間は,何となく神があり,仏があるように思い,その神や仏がこの宇宙を創っているように思っているが,それは違う」等のフレーズがあり,こころが動いた,ちょっと買ってみたのである。 また,神はそれぞれの心の中にあるという考え方は,アメリカ今世紀最大の予言者エドガーケイシー「我が信ずること」の著書を思い出す。「肝要なことは自分自身の心の持ち方で自分の中にある内なる神を呼び醒まし目覚めることにある」「キリストを信ずるが,同時に神を自分の中にあると信ずるその心のあり方がケイシーの精神世界を創り上げていった」というフレーズである。 まえがきに天風の生い立ちが書かれてある。特にこの人は本物だと思ったのは,不治の病を背負いながら,初めはその病から逃れるために,日本だけでなく世界へと,いろいろな宗教や先生と呼ばれる人に救いを求める。求め続けながら,最期にヨガの師との出合いが,その答えを見つけるきっかけとなる。 そして,病をなおすことから発展し,自ら何をすべきか,何のために生まれてきたのかにまでたどりつく,病から宗教を乗り越え哲学に,その紆余曲折は,人物伝になるだけのものを多く含んでいる。 また,随所に仏教とか禅とかヨガ(?)とかに関する独特の言葉や天風的言い回しがある。さらに,哲学的なたとえば「人間とは何だ」「心とは何だ」とかがあり,とっつきにくい所もある。物事の根源にかかわる部分は多くの人が避けて通るところでもあるが,最初から最後のチャプタまで常に言われていることは,「人間の健康も運命も心一つの置きどころ」「心の思考が人生を創る」である。 さらに,私自身の貧困なボキャブラリーで,天風氏の人生哲学を,一言でまとめると,人間は存在を感じる肉体が中心ではない。人間ひとりひとりのこころが,宇宙霊と結びつくことにより,活きる力をあたえられるのである。だから,「こころを常に積極的に働かせなさい」ということになる。 このあたりは読んでもらって,読んだ人なりに感じてもらう以外にないのだろう。こころの置きどころはすべての人間が違うのだから・・・・ 読み終わって,いつも何かに追われている自分,あれをすればこんな失敗をするのではないかという不安,そのこころの動きに,「もっとゆっくり考えてごらん,そんなことは考えてもしょうがないことだよ」と言ってくれているのである。笑われるかもしれないが,首をかしげられるかもしれないが,こころの重荷がすーっととれていった。 おわりに,多くの気になるフレーズがあった。そのひとつをここで紹介したい。 「いったい,こういう貴重な真理に無自覚なのは,あまりにも物質主義で生きているからである。物質主義で活きると,自分では気がつかぬかもしれないが,どうしても人生が物質的法則に縛られることを余儀なくされるものだ。すると,どうしても何事にも,足らぬ足らぬの悩みをのべつ感じ,常に,いい知れぬ不平と不満とに心が燃える。同時にそういう人はとかく,依頼心のみが熾んに燃え,価値のない迷信や陳腐な宿命論に自然と心酔し,果ては人生の安定を失い,うろうろと少しも落ち着きを感じない人生に活きることになる」 21世紀は心の時代といわれている。いま,世紀末を向かえ,ものが溢れ,金に目がくらみ,欲望の限界がわからず暴走する人間・それも知識層に実に多い。ほんとうに心の時代,そんな時代が来るのだろうか。 |