読み感 |
明治という時代を背景にした歴史小説の大半は、明治維新という大きなうねりの政治舞台や海・陸軍や経済界で活躍した人が中心であり、私が読んだ本もほとんどがそういった本である。 明治新政府は、列強に伍していくため、新しい国作りを急いでいた。そして、かつての身分制度にとらわれずに積極的に人材登用をしてきたが、医学面にはほとんどスポットはあてられていなかった。 私自身、明治という時代に西洋医学が一気に入ったことを初めて知った次第。 この作者の作品が面白いのは、小説の始まりを主人公のどの時期からにするかという、助走の部分である。読者にまずその時代の情景をイメージさせる。主人公が20才にして、薩摩軍の医者として従軍し、その戦闘の激しさに多くのページをさいている。 そういった状況の中で、銃弾で負傷した多くの兵士を目の当たりにしながら,治療することができない。蘭方医でありながら助けられない自分にもどかしさを感じていた主人公。 ところが、医者仲間からの情報やある病院で主人公が見たもの、それは銃弾をうけた多くの負傷者に、外科手術を施して助ける西洋医学に、医学の新しい方向性を感じとっていく。 この上巻は、主人公が20才に医者として1年間従軍してから、イギリス留学を終えるまでの12年間で構成されている。彼の医学への志は、大工の父と百姓の娘の母の間に生まれながら、8才にして読み書きを覚えたいと思う倅に、母が中村塾へ通わせるため夫をくどくところからスタートする。 父について大工見習いをしながらの中村塾通いと、師中村敬助との出会い、鹿児島の蘭方医石神良策とイギリス医師ウイリスとの出会い、イギリス医師アンダーソンとの出会い。そして5年間のイギリス留学。 その間父の死、恩師石神良策の死、母の死、義父の死、わが娘の死、多くの不幸を乗り越えながら、運とか縁とかの不思議さとこの時代に生まれ出るべき人物の小説の面白さを感じ取っている。 時代の大きなうねりに傑出した人物は、突然に出来上がるのではない、その能力を認め育てる人物がかならず周囲に存在する。そして、不思議に集まってくるのである。 少し残念に思ったのが、イギリス留学の話しである。ひたすら勉学の話しであり、街の風景とかが出ていないことであった。 そして、考えさせられた言葉は、いまではごく当たり前になった海外留学、この時代は「遊学」という言葉で、今では御手本があれば簡単にコピーできるが、この時代は勉強するためにはまず「筆写」から始まるということだ。 |
とにかく最後まで目が離せない,どういった展開になるのか,興味が尽きない構成である。 吉村昭の作品に最近のめり込んでしまっているが,いままでの作品の中で私は一番だと思っている。 ときには涙をにじませ,鳥肌までたてて感動している自分がそこにはいた。 一方で,臨床医学を認めない陸軍・東大医学部そして森林太郎という人物には,はなはだ失望した。文学の世界では素晴らしい作品を残しているが,執拗なまでの「細菌説」への偏向と「白米食説」批判。 これは,薬害エイズの時の厚生省と薬品業界と医学界の対応の関係によく似ている。 薬害エイズも多くの死ななくてもいい人たちが犠牲になった。それ以上に脚気で,陸軍では死ななくてもいい人が桁違い(日露戦争での戦死者47,000名に対して,脚気で死んだもの27,800名) になくなっている。原因がわからないのなら,まず効果が出ている米麦混合食を取り入れてからできなかったのか,腹立たしさを覚えてしまう。 そして,海外や海軍や一般大衆には認められても,医学界では認められずに他界した主人公。脚気の原因はビタミン不足という決着をみるまで,後年のものが検証しない限り,白米食説の正しさは歴史が証明するのみなのである。 また,この小説の面白さは,大きな壁に挑む主人公の熱意ある姿と,壁の大きさや不幸に見舞われ一転沈み込みうつ状態になる主人公,「細菌説」と「白米食説」,海軍と陸軍の組織体質の違い,海外医学界と日本の医学界の対比があるから面白さが増しているのだと思う。 さらに驚くことは,海軍が日清日露戦争の勝利の影にあったのは意外にも脚気を撲滅したことにあるということや,看護婦制度の創設,貧窮者への無料診療,保険制度への参画と明治という時代に現代医療制度の基礎を築いた人物と言っても過言ではないのではなかろうか。 おわりになるが,人はだれしもやはり人に認められたいという欲望があり,年を重ねるに従い,名誉ある爵位に憧れるのはいたしかたないことなのだろうか。 |