読み感 |
どのような定年後を送ればいいのか,そんな問いかけに応えるような「まえがき」から始まる。いままさに団塊世代がその問いかけを発する世代になっている。 一方で,まだそんな先のことは考えられない考えたくないサラリーマンがほとんどであろう。いつリストラにあうかわからない,年金ももらえるかどうかもわからない,退職金もどうなるか,介護保険制度もよくわからない,来年さえわからないのに10年先が見えるわけがないのである。 まだ会社での出世をあきらめきれない男も多いだろう。家が持てない,ローンがまだたくさん残っている,一度は不倫をしたくてもできない男も,不倫していて縁が切れずに困っている男もいるだろう,子供が何を考えているかわからないため将来が不安等々。 とはいうものの,50代になればいままでの上昇線から,現在の経済のような低迷線に入ることはまちがいない。多くの人は惰性という道を歩きながら,そのまま定年を迎え,サラリーマン生活に終止符をうつのではないだろうか。 この本には人生の先輩としていろいろなアドバイスがあるが,それ以上に「老いと死を自覚せよ」「年よりは出しゃばるな」といった老人としての自覚を促すフレーズもあり,「年より扱いをするな」「老人も恋をする」といった,社会には老人がこんなことをしてはいけない,すべきではないという固定的な観念から老人をどこかにとじこめておけばよいという風潮が依然としてあることを指摘している。 筆者の言いたいことは,年を隠すために若ぶっている老人へのきつい忠告と,「定年を迎えた男たちよ我儘気儘に生きてみよ」ということなのだが,残念ながらはっきりいって長年管理下に置かれたサラリーマン生活からは一気にとはいかない。 ましてや「妻はもうとっくに亭主とは別の人生を」とはいうものの山の神への深謀遠慮がどうしてもある。筆者は「男は身勝手なものだ」「一人残される妻を思うとやはり新しいペットが・・・」といいながら,あるいは妻は別の人生を歩いていると認めながら,どっぷりと浸かってきた男社会の男優先のフレーズ−「亭主に道路を掃かせゴミを出させたりするのは,主婦の恥と知るべきだ。」とか「・・・いつでも食べられるように作り置くよう命じておけばよい」−はささやかな抵抗にしか見えない。また,妻より自分が先に逝くという前提があるような気がするのも気にかかる。 死に限りになく近いところにいるにもかかわらず無駄な抵抗をする老人たちには手厳しく,それでいて過去のものとなりつつある男社会へのロマン(未練?)のようなものが感じられるのである。 いずれにしても,人それぞれの百人百様の定年後でよいのである。 |