読み感
  • 童門 冬ニ作:戦国・江戸男を育成した女の才覚
世の中は結婚しない男・女が増え、あたかも独身であることを謳歌する時代のように見える。一昔前なら30代で独身だと年齢を隠してひたすら耐えていたようなところがあった。また、結婚しても性格の不一致とかですぐ別れる時代であり、間に立つ子供が一番迷惑をしている構図になっている。 この本のテーマは「男を育成した女の才覚」とあるが、男の育成の影に女ありというよりは、夫婦・家族といっても昔の出会いは今よりはるかに狭い範囲であり、その出会いの不思議さのほうが気になる。その出会いにより、新しい人間関係が自分の世代、子供の世代、孫の世代へと継続されて、プラスに影響しあい結実したのがこの4つのケースではないだろうか。 「秀吉とおねね」「利家とおまつ」夫婦の話は、幾度も聞いたり、読んだり、見たりしてきたが、「男を育成した女の才覚」というテーマのように女性からの視点でみると、天下人の影・支えに女傑ありということになる。「近江商人の妻」「自分のこだわり」「会計係の話」「稟議制度」、これらはサラリーマン社会における腐敗したサラリーマン経営者に、もう一度考えてもらいたい言葉でもある。 「馬琴とお路」の話の中では、馬琴が両目を失明した時点から馬琴の生き方が、お路によって大きく変わって大作を仕上げていくことになる。そして、お路も馬琴に刺激されてどんどん人間として成長していく。「人は変われる」というが、私は疑いを持っている。 そんな私にそうではないよこんな事例があるよと教えてくれる話である。人の出会い、馬琴の息子の嫁として、路が嫁いでいなかったらという縁の不思議さと、馬琴の妻と息子の死、そして馬琴自身の両眼の失明という「機」・タイミングによって変化のきっかけ作りがされているのでる。 「池大雅と玉瀾」の話ではいつメインの二人が登場するのかと読み進め、祖母、母の話が三代目の娘、町(玉瀾)によって、恋、最愛の人、自然な結び付き、人間と人間との結び付きが完成していくのである。結婚・離婚がサイクル化しているいまの時代に、「でもわたしの幸福はお祖母さんやお母さんの涙が肥料になっている。」という町の言葉にあるように幾世代にも因縁はついて回り、自分さえ良ければという時代に思わず人の親として涙が出そうな言葉でありました。


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