読み感 |
帯にあるように筆者が遺言エッセーを募集し、一冊の本に刊行後、投稿者自 身およびその周囲の変化等を取材したものである。結論から言えば、やはりお もいどおりにならないというところだろろうか。 人生論、人それぞれのドラマ、家族とのしがらみ・骨肉の争い、周囲の優し い目・厳しい目等、特にこれからの生き方、死に方を考える上で含蓄があり、 参考になる文章が多くある。それは気になるフレーズで紹介したい。 それぞれに遺言を書くきっかけがある。夫と舅・姑との生活、相続争い、母 の死、旧家という地域のしがらみ、娘の婿の死、身障者として、看護婦として 人の死を見つめ、父の癌宣告と死、母の在宅介護、息子へのメッセージ。 そういうきっかけがいま自分に与えられたと思い、そして今後の生き方、死 生観について考えられるようになった人はとても人間として幸せではないだろ うか。自分にはまだ関係ない、死はまだ先の話と思ってしまえば何も起こらな い。私の場合、祖父と父の死を経験したが、その時点では自分にはまだ・・・ と言った思いより、なんとなく過ぎてしまったという気がする。母が介護され る状態になっているいま、祖父の死や父の死が鮮明な映像として思い出され、 死生観を考えるきっかけとなっている。母にとても感謝している。 では、自分が遺言を残すとしたらという仮定であれば、妻と子供たちへの感 謝のメッセージになるのではと思っている。 ところで、この本の中に「峠」の話が出てくる。「峠は山頂のピークと異な り、それ自体が目的とはなりにくい。ひとつの通過点に過ぎない。でも単なる 通過点ではなく、そこでひと息を入れて、次の目標に向かう地点であるという ことが大切なことである。・・・」とあるように私はいま人生の峠にいるよう な気がする。急いで生きてきた過去を振返り、第二の人生を考えるいい時期だ と思っていた。いい言葉に巡り会えたといううれしさがある。 また、最終章「新しい自分が生まれてくる」には、遺言書を書いて良かった こと、生老病死を正面から受け入れる、家族と向きあうきっかけに、何を残す か残さないか、命の尊厳を願う、心がかよっていればと言ったフレーズでまと められている。実際に書き公に発表されたことが、いい結果につながっている のではないだろうか。 |