<<1.はじめに>>
@本願・・・一千体の仏像を刻み、人々を救うこと
A木喰の仏像の特徴は独特の微笑みをたたえ、「微笑(みしょう)仏」と言われている。
B当時(大正時代)忘れられていた木喰仏を全国を旅して発掘した柳宗悦
<<2.木喰上人経歴>>
@山梨県に生まれる。93歳で逝去(1718年〜1810年)
A14歳で故郷を去り江戸に出る
B出世したときもあるが、たびたびロウ人になった
C22歳で出家
D45歳で木喰戒(米や麦などの穀物を断ち、木の実しか食べない)を受ける。(酒は禁じていなかった)
E56歳から諸国遊行(北海道から九州)
<<3.木喰上人と柳宗悦の書籍>>
@「四國堂心願鏡」・・・木喰自筆の文書
A「南無阿彌陀佛國々御宿帳」・・・遊行の旅でどこに泊ったかを記している。
B柳宗悦全集第七巻(木喰仏との出会いがなどが書かれている)
<<4.木喰仏彫刻年表>>
@63歳・・・栃木県鹿沼市栃窪:薬師堂<<薬師如来ほか十二神将>>を刻む。
A71歳・・・宮崎県日向国分寺住職(あしかけ十年)(火事後再建、その後明治廃仏毀釈で壊される):木喰五智館<<高さ3m・五体の五智如来像>>を刻む。
B84歳・・・山梨県見延町丸畑(9カ月間):身延町なかとみ現代美術館<<大日如来・釈迦如来など四国霊場88個所の本尊88体と自刻像>>を刻む。
C86歳・・・新潟県小千谷市小栗山:木喰観音堂:<<如意輪観音など35体>>を刻む
D89歳・・・京都府南丹市八木町:清源寺(4カ月逗留)<<釈迦如来を中心に十六羅漢など22体>>を刻む。
E91歳・・・最後、行方が分かっているのは、ホウフで<<観音菩薩>>を刻む。
<<5.柳宗悦「木食仏」との出会いとそのメッセージ>>
@大正13年山梨県で木喰仏と出会う。
A私は即座に心を奪われました。その口元に漂う微笑は私を限りなく引きつけました。尋常な作者ではない。異数な宗教的な体験がなくばかかるものは刻みえない。
B池田村の村長から「地蔵菩薩」が届けられた。私は枕辺にそれを置いてもらいました(このとき柳は風邪で寝込んでいた。)・・・眺めいる。私は病を忘れて微笑みに誘われたのです。
誰がその微笑みに逆らうことができましょうか。私はそれに見入り、見入りました。
Cあなたは微笑む。合掌し私に向かって微笑む。また微笑む。どうして微笑むか尋ねても、その微笑みに
すべての答を託している。私はいま日夜をあなたと共に暮らしている。
D私がうれしい時もあなたは等しく微笑んでいる。だが悲しい時でも、その笑顔を崩さない。時として、
怒りに心を曇らす時、私はあなたの前に佇み、あなたの笑顔は思わず私の心を緩めてくれる。私の心も微笑する。
<<6.木喰上人の歌>>
@みな人の 心をまるく まん丸に どこもかしこも まるくまん丸
Aいつまでか はてのしれざるたびのそら いづくのたれと とふ人もなし
B「木食の けさや衣は 敗れてもまだ本願は やぶれざりけり」・・・季節を問わず衣一枚で過ごしていた。
Cいきなりに ころりまるまる そのよさは さむさわするる ちゃわん酒かな
D木喰も いづくのはての 行きだおれ いぬかからすの ゑじきなりけり
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