≪≫≪メルトモ交信状況その11≫≪≫

≪≫≪メルトモへの質問フレーズ≫≪≫


Q20:転々と住む場所変えても、それなりに年をかさねても、
自分の気持ちの中に暖かく残っているのは故郷です、故郷の魅力は?


≪≫≪メルトモからのいいフレーズ≫≪≫


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故郷の話でしたね 遠くで思うのが一番かな
なかなか帰れないですけど帰ればやっぱり
ホッとしますよね 
姉妹に言わせれば母親一人
なのでいい加減帰ってこいってうるさいのですが
まだまだ帰る気持ちにはなれないですね
でも帰ったときは私なりに親孝行はしているつもり
なんだけどなー

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私の故郷・・といっても
転勤が多かったので「故郷」といわれるような
ところは、ないのでは・・。
強いていうのなら生まれたのは芦屋です。
生まれてから9年間ここで育ちました。
山の手のお子さんが同じ小学校にいました。
ただ・・今から思えば決して「華美」でもなく
どこへ出しても恥ずかしくないような女の子って
いう感じで、皆さん、けっこうしつけは、きちんと
なされてたような気がします。

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う〜ん
故郷は遠くにありて思うもの・・・です。
あ〜私四国は徳島出身です。関係ないけど 阿波おどり 踊れますよ。
父も母も既になく(長兄がおりますが)帰省することも あんまりないですね。

私が女のせいもあるかも?しれないけど 故郷のイメージは 母ですね。
その母はもう30年も前に亡くなっているのでね〜

よく男は定年になったら 故郷へ帰りたいなんて聞くけど
もっと歳いったら 私は都会へ うってでたい わ
田舎は機動力がないと動きが取れないでしょう。
今は自分で車でもゲンチャでも 歩いてでも可だけど
これが何時までできるか?って問題よね
だから、出来る限り都会だ
過去は過去で もういいよ

 
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私の故郷は鳥取なんですよ。
今は誰もいませんが、2、3年前に帰ってみました。
小学校も高等学校も廃校になっていました。
唯一の中学校はりっぱになっていました。
昔を思い出しながら今の年を思うとなんだか懐かしい気持ちと
淋しい、わびしい、悲しい いろいろな感情が交差します。


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この世に生を受け、それなりの年まで生活してきた所というものは、
母親を乞うが如くに懐かしいもので、
言葉で表現するのはなかなか難しいです。
「ふる里」という童謡がありますが、
自分の心に残っている田舎はあのような・・・
心やすらげるところでしょうか?

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私の故郷って何処だろう?
愛媛県五十崎町生まれ、5歳で大分市へ。
結婚して神奈川県で6年間すごし、Uターン。
以来、市内を2度転居。

新婚時代を過ごした鵠沼、
夜景が素晴らしかった上大岡の社宅、
住み込み寮母をした綱島、
息子達を育てた長浜・・・
住んだ場所ってそれなりの思い出があって
どこも懐かしいですね。

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故郷の魅力は、まだまだ素材がいいところですかね。
東京や大阪も好きですけれど、最近は岡山も好きです。

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私が住んでる街もよくよく観察してみるとお店が変わっていたり
今まであったビルが突然になくなって空き地になったりしていて
世のなかが、じょじょに変わっているのだと、
なんとなくおっかけられるような感じがしています。


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≪≫≪amigoの場合≫≪≫


ふるさとは子どもの目線で見ていた。
だから、大人の目線で見ると、こんな小さな狭い世界だったのかと、久しぶりにそのふるさとを車で通過したとき思ったものだ。
神社の鳥居・境内、小さな広場。田んぼ、用水路

自然が多く田んぼが畦道が、その田んぼも少なくなり、畦道も舗装され、水溜まりに長靴で入った頃が懐かしく思い出される。
この畦道を学校の行き帰りに通ったのだ。
この田んぼを駆けずり回っていたのだ。

大人になってからの故郷は鳥取である。
転勤で4年間、住んでいた。
何がよかったか、せかせかこせこせしていない。
しゃべる言葉もあたたかさを感じたものだ。
四季のめりはりがあり、特に冬は厳しいけど春・夏・秋が実にいい。
セカンドライフはここがいいと思ったものである。
現実は子供時代のふるさとにいま住んでいる。


メルトモ交信状況その10
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