*********出会い系サイトと男心*********

>男の方って2,3回やり取りしたら大体が
>電話番号教えて下さいから始って最後は
>会いませんか?って来ますけどamigoさんは
>そんな気持ちにはならないのですか?

この前もいいましたように、その人たちの目的は ひとつしかないのです。
それは男、独特の病気で 女性なら誰とでもセックスフレンドになれる、
男もこうだから女性も同じだろう、求めているだろうという 錯覚なのです。

私自身は仮に話しが合って、気が合って、そしてできれば 恋をしたいですね。
その結果として肉体を求め合うのなら それなりにということでしょうか。
この人とならセックスをしたいとかというのは、女性のほうが 知らぬ間に選んでいるのでは。

もっとも「援助交際」とかいって わけのわからない言葉を使用してみえにくくしている だけで、することは同じ。
ただ若い人が安易な方法で 金を稼ごうとしているのはどうもいただけないですな。
それを求めるおじさん族も駄目なのでしょうが・・・
模範解答でした。

もう少し書くなら、いまの世の中がおかしいということでは ないのです。
性に関しては日本という国は昔から実におおらかだった。
そこで、江戸時代の性風俗を書いた本を私の感想とともに紹介しましょう。

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氏家幹久作:江戸の性風俗

性という文字にはなぜかためらいがある,さらに風俗ときたら,なおさらためらいがある。
本屋で人の目を気にしながら,せいぜい立ち読みで終わってしまう。
ところが,この本には触手が動き,買ってしまった。
それは副題に「笑い」という言葉と本屋の推薦文が気に入ったからである。
いまの世の中,フリーセックス,援助交際,不倫が大はやり,さらに離婚も増加傾向,
と性がみだれ気味で,さらに人間関係も希薄と言われているが,
昔はどうだったのかいつも気にはなっていた。

江戸時代は性に関し,とてもオープンで,離婚の正確な統計はないが,
1890年に来日したドイツ人宣教師C.ムンチンガーは,
日本の離婚率の高さ(4割強)に驚嘆したという。

この本のベースには,川路家の明るい性談義がある。
そして,切り口は,良寛の歌の中にある、
「世の中にまじらぬことはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」
の裏解釈の失敗話で始まり,江戸末期ロシアとの外交交渉で活躍した勘定奉行の日記
「川路家の猥談」話,京都宮家の雅びとエロス,春画の効用,性の回数と健康療法,
風俗にも時代のブーム,言葉の意味の変遷,情死の美化,
そして自慰に悩んだ先人の話で結ばれている。

川路家の猥談については,さわり程度をフレーズで紹介したい。
性風俗と聞いただけで,興味本位に下半身の話ばかりと思いがちであるが,
事実そうなのであるが,多くの有名人の著書やその日記をひもとき,
当時の性に関するものをきわめて学術的に分析している。

特に勘定奉行川路の日記の話は,吉村昭著「落日の宴」で主人公となっていたことから,
彼の仕事ぶりとか,健康管理とか部下育成で感心し,一部あった「睾丸を塩で揉む」
「58歳にして側女に子を生ませた」という下半身の話の延長線上のような先入観を
もって読み進めたが,いささか内容が違った。

川路は,江戸の母親に,奈良で起きた日々の出来事や面白い話題を伝えるため
「寧府(ねいふ)紀事」という手紙のような日記を書いていたのである。
当時はごく普通に「家庭内で性的な話題がためらいなく交わされ,
のみならず男女の区別なく皆でそれを楽しんでいた」という。

勤勉実直ぶりの外交官の姿からとても想像できないが,
その猥談の内容を読んでも実に健康的な話である。
しかもその猥談が一家団らんの食事の時に行われていたというのだから,
そのオープンなところになおさら驚く。

いまの時代,性に関する物は,社会悪として多く氾濫しているが,
家庭内では話題にしにくいし,職場でしようものならセクハラで訴えられかねない。
変れば変るものである。
この本はたった200ページ程の物であるが,
有名人やその日記,性に関する言葉が実に豊富である。

少し列挙してみよう。

まず人の名,菱川師宣,貝原益軒,谷崎潤一郎,松浦静山,植木枝盛,
三田村鳶魚,大田南畝,松平定信,荻生徂徠,徳冨蘆花等,次に書物,
「全盛七婦玖腎」「宴遊日記」「ひとりね」「辛丑日録」「延寿撮要」
「千金方」「視聴草」「女閨訓」「坐婆必研」「稚児草子」等そして
一番多い私の知らない言葉,笑い絵,枕絵,おそくずの絵,痴(おこ)絵,
わ印,肉屏風,房中補益の術,アンコ,
等々さらに興味のある方は是非読まれてみたらいい。
また,男の性に関し悩んでいる人,いた人,そして私も一時期悩んでいた。
それは,偉人でも同じ経験をしていたのだと改めて思えるフレーズに出会い,
なにか男の郷愁のような物を感じている。

この本を読んで一番共感したのは,第6章の性風俗の言葉の意味の変遷から,
筆者が江戸時代の人間関係の温かさを感じさせるというところに言及している部分である。
不倫は,人妻の恋や妻帯者の浮気を言うのではなく,単に「相応しくない」「不適切」
「不合理」を意味するとか,痴漢は「性格劣悪」「愚かな奴」を意味するとか。

そして,「これらの言葉が私たちに示唆しているのは,
人と人との関係が現代のように疎遠になる以前の社会では,性愛の営みは,
人間相互の深い親しみや信頼関係と不可分のものだったという事実にほかなりません」
「性の悩み,恋の患いすら,周囲の人々は個人の秘め事として放っておいてはくれませんでした。
性の話題は皆で考え,あるいは楽しまなければならないというわけです。
だからこそ,茶の間でもさりげなく猥談が飛び交い,老いも若きも哄笑したのでしょう。
一人で悩む性より共に笑う性」

この二つのフレーズにまったくと頷きながら,
スピードと効率化社会に生きる自分の家族との接し方について,
いま私自身が反省の材料としている。

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さらに少し加えるなら・・・こんな言葉があります。
  色情の醍醐味は一盗、二婢、三妓、四妾、五妻と順位づけられている。

この順序がスリルとアバンチュールが楽しめるというものでして、
一番がよその奥さんとすること、
(不倫・かっての時代は処女が珍重がられていましたが、
不倫とは言ってません、夜這いですな、これは女性も合意の上ですね)、

つぎに婢(はしため)自分の家で使っていた使用人ですね、
三番目が芸者や水商売の女性、
四番目がお妾さん、最後が奥さんです

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でもね、最近は男と女は逆転の立場にあるように思えてなりません。
私考えるに・・・。
女性から言わせれば、一盗、二金、三下、四援、五亭ではないかと。
一番目は男と同じ、よその亭主とすることですな。
二番目は金持ちのおっちゃんとすること。
三番目は年下の美少年とすること。でも金入りまっせ。
四番目が援助交際ですな。
そして、一番苦痛なのは、金も出しくさらん亭主でっしゃろか。

とはいえ、世の中、男も女も乱れていますです。
みなさんはいかがですか、
でも本音は???私の場合、メル友に求める
としたら「プラトニックラブ」いいですな・・・いい響です。
とはいいながら、飲み屋のお姉さんと食事などを
したいと思ってしまいます。だめですね男は。

男をあまり焦らしすぎると、ストーカーになってしまいますよ。
気を付けないと、個人のメールアドレスをすぐに教えないこと。
その点、教えてくれたということは、私は安全牌ということ だったのでしょうか?

元気がいいのはおじんやおばんばかり





**********知らぬ間の方言*********


岡山弁は、殿様言葉と言われておりますが、どちらかというとやくざ ことばのようでもあります。
「おめえこのくそあちいのに何をしょんなら」
「おでえつが何をえらそうなことをぬかしとんなら」
「おめえこそ何しょんなら人のことはほっとけや」とこんなぐあい。
上品すぎて思わず、口に手をそえております。
わが家人がよく遣う言葉に、あるフレーズを喋った後に、 かならず「じゃ〜」をつける。
そうじゃ、そうじゃが〜、
相手の話した言葉の後で、「じゃじゃ」なんて相づちもうつ。

どうも久しぶりに帰った娘からするとこれが耳につく。
方言のようである。水道の蛇口じゃ〜あるまいし、
あれまた、じゃ〜を言ってしまった。
じゃ〜言い換えて、ありゃまたじゃ〜を言ってしまった。
じゃ〜また。あれ・・・・、どうなっとんじゃ〜・・・。




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