*********別バラ*********

家人と娘と三人で、昼食を外ですることになった。
「敦煌」という中華料理店でバイキング、1050円/人也。
ご存知ですか??
このくそ暑いのに、くるはくるはぞろぞろと。
それも女性が多いのだ。男の割合は、四分の一。
たくましき女性の食に対する欲望よ。

わたくし、男は、バイキングで一通りのいつもの適量を皿に盛って、 食べれば終わりなのだが。
わが家人と娘は違う、出ている料理をすべて 一通り食う勢いなのだ。
他の女性はそんなことはないだろうと見ると すべての女性が間違いなく、何度も料理ののせられたテープルに向って おりました。
デザートにいたっては、別バラとか申して食しておりました。





**********好きなこと**********


「たのしみ」な生き方(神一行著)の文庫本を読んでいます。
本の帯にかかれていた「そうか、『幸福』は自分の心が決めるんだ」
フレーズに引かれて買ったのです。

歌人橘曙覧(たちばなあけみ)の生活法の話なのですが、
第3章:「『分相応』の人生観」の最初に
「好きな事をして暮すべし」というのがあります。
この好きな事というのがむつかしいのです。
さらに具体的に話を続けますと、

***************************本からの引用******************************

「なぜ、わたしが好きなの?」と聞かれて、
「それはおまえが綺麗だから」「とてもやさしい人だから」などと
答えるようでは、その恋愛感情はまだたいしたことはない。
条件がつくということは理性が判断していることで、打算が 入っているということだ。
それに対して「好きだから好きなんだ」
というのは、頭で考えているのではなく、魂がそう叫ばせているのだから、 恋愛感情としてはこれがホンモノである。

したがって、人生を考えるときも、理性的な判断による生き方、つまり世間の 見栄や体裁を考えて「どっちが得か」といった生き方をすると、これは前述し たように相対的なものだから、いずれはどこかで壁にぶつかり迷ってしまう。

*********************************************************************

いかがでしょう。結婚生活も20年以上も過ぎますと、
好きとかの感情もそう表に出して言えるものでもなく、
単なる同居人に成り下がっておりますが、お互い「なぜ私と結婚したのか」
という問いを発することもなく、日々過ごしております。
「なぜ好きか、好きだったか」この域はすでに超越しております。

*************************さらに引用しますと***************************

簡単な話が山登りだ。山登りが嫌いな人は「なぜ、あんなに苦労してまで山に
登るのか」と思うだろうが、好きな人にとっては、時には命の危険すらあると
いうのに、いかに汗をかこうと疲れはてようと、下山した瞬間にはまたより高
い山へ登りたいと思うものだ。
これはそのことを「義務」と思うか「楽しみ」と思うかの違いである。
もっと端的にいうなら、好きに生きるとは、世間の見 栄や体裁を気にする理性的な判断ではなく、
おのれの魂に忠実な生き方だから ともいえる。だから悩みも少なくいかなる苦労にも耐えられるのである。

*********************************************************************




・小噺メニューへもどる