今週の気まぐれ本

 

ブック名

「始末」ということ

著者

山折哲雄

発行元

角川ONEテーマ21

価格

724円(図書)+税

チャプタ


@日本人はなぜ火葬にこだわるのか
A骨と日本人、肉体の始末を考える
B死を想う 心の始末のつけ方
C喪失と慰藉
D生きる覚悟、死ぬ覚悟
E人生80年、わが身の始末
  

キーワード

遺体はゴミ、葬式はしない、人に会いすぎない、断食、ひとりで死ぬ、半眼、福祉思想、自力、現役、自分でなくなる

 

本の帯(またはカバー裏)

「死」に触れたり考えたりすることの多い人生を過ごしてきました

かってに感想(気になるフレーズ)


一度読んだような気がする。
著者の本をよく読んでいるので、似たようなフレーズからかもしれない。
六十代のいま、いつ「死」が訪れても何の不思議もない。
「ヒンドゥー教やチベット教の人たちにとっては、魂は完全に抜け出てしまっているので、遺体はゴミなのです」
「いまは火葬した親族の骨を墓や納骨堂に入れずに、自分の手元に置いておくという人も増えているようです」
「葬式はしない、墓はつくらない、遺骨は残さない」

「食べすぎない、飲みすぎない、人に会いすぎない」
「最後は断食のようなかたちでそのときを迎えたいと考えるようになったのです」
「人に会う楽しみがあるからこそ、生きる意欲が湧く」

「『所詮、人はひとりで死ぬのだ』ということに対して、肚をくくれているのか・・・」
「仏の顔の表現には、開眼、半眼、閉眼と三種類がありますが、開眼が生ならば、閉眼は死、半眼は生と死の中間的な表情であると言えます」
「老人をシテ(主役)からワキの地位へ引きずり下したのは、近代の福祉思想ではないか」

「死の準備に入りながらも、あくまでも自力で生きる」
「人として現役で生活しているというところに、老いを生きるヒントがあるように思います」
「死とは、どのみち自分が自分でなくなることなのですから」