何でも鑑定団の番組はいつも見ている。
何が面白いか、それはニセモノがあるからだ。
それは本物で高額が表示された時と二束三文の値段とのギャップがあるからなのだ。
もうひとつは、思いがけなく埋もれた陶芸作品が持ち込まれる事にもある。
「掛け軸の九十%はニセモノだといわれるし、焼き物も八十%がニセモノだといっていい」
「懐があったかく、骨董をほしがっているが不勉強な人間に、『儲かるよ』と甘く囁く」
「目利きはモノの何たるかがわからなくとも、いいモノを目にしてに取ったとき五感にピンと響く」
「ホンモノには善意のラインがある」
「善意でもって人の幸せのため、あるいは自分の人生を納得させるために作り上げたもの だからひたむきさがある」
「シナモノが置かれている場所、包んでいる風呂敷の様子、箱の様子を見て、その箱の中身を 見る前に、真贋は見えてしまっていることが多い。こういう『様子』、これを骨董界では『
次第』という・・・」
「名器名品に接してから、十年なら十年、・・・、時間をおいて、同じものと対峙したときに、 あなたの感性が磨かれ成長していれば、そのものは必ず小さく見えるはずだ」
「背中にペーソスを漂わせているから、人は安心し、つきあって面白いヤツになるのではないだろうか」
「いいモノに触れることで、自分の感性を磨き、高めていく。・・・それを積み重ねることで、 誰に会っても恐くなくなる」
「一心不乱に作る純粋さ、ごまかしのなさがホンモノの原点だと思う」
「『いい仕事をしている』というのは、そういうだれにも真似のできない世界のこと いっているのだ」
|