藤本義一さんのエッセイは、「人生とは」をうまく表現してくれている。
その人生の先輩が経験した道は、やがて私の通る道のようである。
だから、いいフレーズがたくさんちりばめられているのだ。
「”人生とは生きていく価値”を探求することではないか」
「なにを為すべきかを真剣に考えてもいいのではないか。・・・些細なことでいい。 なにか役立つことがある筈である」
「生きている限り、世の中にはひとつとして無意味なものはないと思う」
「今まで生きてきた人生の喜怒哀楽を冷静に分析して、明日の一日に 生かした時、人間は真の生き方をしたといえるような気がする」
「一点に神経を集中させるナニモノカを見付け出すのが古稀以降の生活だと思う」
「身の回りに決して迷惑をかけない集中力を自分に約束することであろう」
「他人から見れば、飽きずによくやってるなあといわれるもので十分だと思う。それが 人間の”生きている”なによりの証明だと思う。完成すると考えてはいけない ナニモノカである」
「夢よりも課題が常にあった方が、人は生き甲斐を感じることになる」
「俳句や川柳をつくるのは、脳の活性化には一番いいような気がするのである」
「金があればなんでも可能と言う気持ちは私の内側には全くない。そう考えた時に精神は 痩せ細り、枯れ切っているように思うのである」
「道楽:仏教用語で心の安らぎを得ることらしい。道楽とは自分自身で決定した趣味の道へ入り、 年輪を重ねながら、この趣味の奥深さを究めていくわけだ」
「誰かに誘われたり、付き合いといったものではないから、現代サラリーマン社会とは 根本的に違っていると考えていいだろう」
「江戸時代の人たちは、自己開発は時間をかけて自分でやるものだと信じ切っていたのに対し、 現代の人は他人の教えでの自己開発が可能だと錯覚してしまったといえる」
「自分の生きていく理由は、案外、過去と現在の中で具体的に自己の足跡と思考を陳列展示して 考え直すことなのではないだろうか」
|