〜〜 (義兄の支援:H13.4.21記)〜〜 義兄は寡黙である。 エミ姉ちゃんも、休みなく働く義兄の仕事の様子を見ながら、支援を頼む。 今回は、私が仕事を変わったために休みが取り難いことから、 義兄に「胃ろう」の取り替え搬送支援を頼んだ。 いつもながら、ベッドから母を抱えて車に乗せる、これが大変だった。 母はさらに体重が増えたらしいのだ。 前は腹回りに肉がついていたが、全体にふっくらしたみたいだ。 4カ月ぶりに診察した労災病院の先生が「顔がふっくらしてきている」とおっしゃったのだ。 義兄は母を労災病院へ搬送してくれた後、取り替えが済むまでの間、うたたねをしていた。 毎日の仕事疲れがでているようだと、エミ姉ちゃんは言っていた。 「いつもお世話になります。たく兄さん」 |
〜〜 (新胃栓(胃ろう)の取り替え後状況:H13.4.28記)〜〜 今回の先生の診断では、「まだ長生きできますよ」とお墨付きをいただいた。 ただ少し母の体重が増えたことが、エミ姉ちゃんは気になるらしい。 流動食の量を少し、調整している。 それから、新しい栓に取り替えてから、下痢状態になっていることも気になっている。 栓の横からにじみ出ることについては、二つほど先生からアドバイスをもらった。 ひとつは、流動食の点滴がすんでも栓をすぐにするのではなく、少し時間をおいてみる。 ふたつめは、中に入ってる風船の調整を適宜するということ。 エミ姉ちゃんは、でも少し気になるので、点滴の後、胃栓のまわりにガーゼをおいているのだ。 旧胃栓もやはり滲み出ていたので、皮膚がただれていたのである。 なお、今回は前回レントゲン室で落とされたので、 エミ姉ちゃんがすべてついてまわったらしいのだ。 ご苦労様でした。 |
〜〜 (母の体重測定:H13.5.5記)〜〜 母の体重測定をしたと、エミ姉ちゃんが言う。 母は全く動けないから、どうやったのか聞いてみた。 まずはエミ姉ちゃんが母を抱きかかえ、体重計に乗る。 そして、自分だけが乗るのだ。 介護サービスの方にお願いしたが、 どうも自分の体重がばれるのが怖いのかご遠慮をされたみたいだ。 母の体重は34kgであった。1kg増加したらしい。 きょうもいつものように声をかけた。 まずは「おか〜あさん、こんにちは〜、また来たよ〜、元気か〜」返答はない。 エミ姉ちゃんから、ほとんどしゃべらなくなったという。 帰り、また声をかける「帰るは〜、また来るからな、聞こえてるのか」 はっきりした声で「聞こえてる」 |
〜〜 (5月のショートステイ:H13.5.12記)〜〜 5月のショートステイの予約にエミ姉ちゃんは失敗した。 いつもお願いしていた人が忘れていて、予約したとき満杯だったのだ。 結局、いつもの特別養護老人施設ではなく、病院の介護サービスに頼ることとした。 この場合、被介護者の送迎サービスがないため、 病院への送迎は家族等の介護者がすることになる。 エミ姉ちゃんは、今回、ショートステイ先が変わることで少し気にになっていることがあるらしい。 それはいつものところからは、毎年寄付が求められるからだ。 私自身この考え方がわからない。慈善事業をやっているという意識が強いのだろうか。 確かに、介護保険制度ができるまで利用者側には何かしら後ろめたさがあった。 でもその部分というのは、 社会全体でそれもサービスの提供は競争でということになったのではないか。 その後ろめたさのためにエミ姉ちゃんは、 ショートステイ先から送ってくれたときにいまだにささやかなお礼をするのである。 |
〜〜 (母の微熱:H13.5.19記)〜〜 母は時々微熱を出す。 体力と体温調整ができないため、熱が出ると汗が出て快復するということはない。 熱さましの座薬と氷水で冷やすことになる。 といって、急激に冷やしすぎるとまたよくないのだ。 徐々にということでエミ姉ちゃんは苦労するのだ。 5月の連休中その微熱が出た。 すぐに38℃を超えてしまう。 町医者先生を頼もうと電話をしたが、 この日はイタリアへ旅行中だった。 ということで、いつものように座薬を入れ、氷水で濡らしたタオルで頭を冷やす。 幸い、オシッコもきれいということで、私が帰る頃には熱がさがっていた。 |
〜〜 (母の入院:H13.5.26記)〜〜 母の微熱が続いていた土曜日の翌日(5月6日)、 下がっていた熱がまた出ていたことにエミ姉ちゃんが不審に思った。 救急車を呼んでかかりつけの病院へ急遽搬送してもらったのである。 レントゲン撮影等での診断の結果、肺病になりかけの影が映っていたらしい。 そのまま入院とあいなった。 点滴をうって翌日には安定したらしいのだ。 エミ姉ちゃんの判断がよかったので軽症で済んだのである。 しかし、母の生命力には素晴らしいものがある。 まだまだ現世の子供たちに言いたいことがあるのだと思う。 反省しなければと思うことしきりである。 「ご心配かけます。おかあさん」 |
〜〜 (母の入院見舞いでのできごと:H13.6.2記)〜〜 5月5日から胃ろうの手術してもらった病院に肺病治療のために入院している。 胃栓から流動食を入れていた家庭での生活から点滴生活に変わった。 点滴も腕からではなく、足から入れている。 この点滴のせいか顔が水脹れのようになっている。 母の病室は、二人部屋である。 先日見舞いに行った。隣は男性患者で少しボケが始まっているらしい。 看護婦さんと患者とのやりとりが聞こえるのだ。 ベットの下のほうにずれている患者を上にあげたいらしいのだが。 看護婦さんにどうも抱きついて離れないのだ、看護婦さんのかすかな笑い声が聞こえる。 「そうじゃなくて上にあがるんですよ」と言うのだが・・・。 「わかる」「おー」。 ほんとに呆けているのか怪しいものだ。 これはなかなかいい手かもしれない。 |
〜〜 (病院の看護婦さん:H13.6.9記)〜〜 病院は、看護婦さんで決まる。 母が入院している病院の看護婦さんは、実に親切に世話を焼いてくれる。 土曜日等の休日勤務には要員が少ないので大変なのだ。 今回の見舞いでは、母は一言も発しなかった。 微熱が37.6度あった。 氷嚢にはすでに氷がない。 看護婦さんが来たので、「熱があるので冷やしてくれませんか」とお願いした。 母は自分でブザーが押せるわけではないから、気づかなかったらそのままなのだ。 手が回らないのである。 こころよく、すぐにやってくれた。お世話になります。 私たち見舞い客にとって、とてもさわやかで気持ちがいいものだった。 |
〜〜 (続く母の入院:H13.6.16記)〜〜 母が5月初旬に入院してから、1カ月以上がたった。 点滴による栄養注入は終わり、胃への直接注入に切り替わっている。 声をかけても、まったくしゃべらない。 悪いなりに小康状態である。 喉に痰がおりるのか、盛んに喉をならしている。 肩を大きく動かせて苦しそうに息をしている。 見舞っても何もできるわけではない。 ただ見守るだけである。 いつのまにか同部屋の人が変わっている。 酸素吸入器用のマスクと袋を取り付け、目を閉じ、痩せた男性の体がただ横たっている。 何年か後の私を見るようだ。 |
〜〜 (続く母の入院その後:H13.6.23記)〜〜 悪いなりに病状が安定したのか、病室を移った。 6月2日、これから二週間程度様子を見て、退院させるかどうか判断したい。 という担当医師の言葉だった。 腎臓がかなり弱っている。 母の場合、片方の腎臓はまったく機能していないのだ。 それで負担が大きいのである。 前回の病室にいる時は、心電図、脈拍、血圧がわかる機器を取り付けていた。 肺病はどうやらなおったらしい。 ただ、暑い季節をむかえ、母の「パーキンソン病」という病から、 体温調節が自分でできないため、気温が高くなると肩で息をするようになる。 クーラーがうまく利用できればいいのだが、病院では個室対応になっていないから、むつかしい。 だから、すぐ微熱が出て、たえず水枕で冷やす必要があるのだ。 こういった状態で生き続ける母を見ると辛いものがある。 「生」とはなんぞやと考えてしまう。 |
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