〜〜 (医者の不養生:H13.2.10記)〜〜

母のところには毎週,町医者先生が往診に来てくれる。
いざというときたよりにしている,近くのかかりつけの先生である。
その医者先生が倒れたという。

医者も自分の調子をいつもわかっているわけではないのだ。
軽い脳梗塞だったということだ。
脳の血管は,年とともに梗塞状態のものがだれしもできるらしいのだ。
問題なく往診できるというのだが,・・・・・・

その後の情報によると、あれは誤報だった。
大風邪を引いて、二日ほど寝たきり状態だったとか。
神様が順序を間違えば,母より先生のほうに先にお迎えが来てしまうかもしれない。



〜〜 (いつものように母の所へ:H13.2.17記)〜〜

土曜日,いつものように,家を出る。
姉の家へ着くと,まず仏壇に電気をつけ,線香をあげ,ちんちんと・・・。
そして,祖父と父の写真を見上げる。

母にあいさつ「元気か,どんなんで」と耳もとでいう。
調子のいいときは,息を吸って一気に,ぼそぼそっと「元気」とかいう。
しゃべるのもつらいときは,ただ黙して語らず。

セレモニーが済んだ後,エミ姉ちゃんとだべるのだ。
母の容態が安定しているときは,すぐに,それぞれの家族の話になる。
なんだかんだと言いながら,8年が過ぎた。




〜〜 (胃栓パートわからなくなったNO:H13.2.24記)〜〜

もういい加減にして欲しい。
これはエミ姉ちゃんの代弁である。
胃栓について,悪戦苦闘してきたエミ姉ちゃん。

半年を境に新しい栓に変えて調子が悪く,昨年末新しい栓に替えた。
ところがところが,またまた,流動食がもるのだ。
先生に相談してもというエミ姉ちゃん。
相談をすればすぐ連れてこいというから、おっくうなのだ。
1カ月が過ぎても,よくならない。

どうしようかと,迷うエミ姉ちゃん。
いったいどうすればいいのだ。
まあ、にじみでるような感じだから、まあ我慢できるかというところなのだ。



〜〜 (ご無沙汰:H13.3.3記)〜〜

恩師の広島での送別会。
大学が決まった娘の住宅探し、と二週間、母のところへ行けなかった。
いつもの行動ができなかったことに、何かポカンとこころに隙間ができたようになってしまった。

なぜだろう、病気で寝たきりの母だが、見えないところで私に生きるパワーをくれているのだ。
感謝しなければと思う。
もちろん毎日世話をしてくれているエミ姉ちゃんがいるから、母から恩恵を受けられているのだが・・・。
まだ、もれている胃栓のことも少し気にかかる。



〜〜 (久しぶりの訪問:H13.3.10記)〜〜

母を訪問するのが二週間飛んでしまった。
相変わらず新しい胃栓の調子はよくない。
栓の周りから少し流動物が滲み出てくるのだ。

だから、点滴した後、ガーゼをおいておくのだが、滲み出るため栓の周りの肉がただれている。
消毒を常にしている状態なのだ。
この日は、母が喉に痰がつかえるのか、盛んに咳をする。
自分の力では外に出せない。

エミ姉ちゃんは、町医者先生から借りている吸引機で、痰を吸い取るのだ。
これは母にとってはかなり苦しいらしい。
寝たきり老人はちょっと風邪といっても、すぐに肺病を患うため、 痰がつまることは特に要注意なのだ。



〜〜 (エミ姉ちゃんの気分転換:H13.3.17記)〜〜

エミ姉ちゃんは、母の看病体制も確立しているため、最近は気持ちも安定している。
そんなエミ姉ちゃんが、母への感謝の気持ちを吐露した。「お母さんのおかげで、 それなりに仕事をもらっているようなものだ」

世の中、50才も過ぎればなかなか職もないし、仮に職があったとしても、 そんなに給料ももらえるものではない。母の厚生年金等がそれなりにいただけるかららしい。
エミ姉ちゃんは先週、親しい友だちと手近な一泊旅行に出かけた。
最近は、定期的にこの仲間と旅行に出かけるのだ。

もちろん母はショートステイである。
これも気軽にできるようになったと喜んでいる。
気がをけない仲間と行くので楽しみにしていたのか、旅行に行く前に、 にこやかに話をする顔は、ほほが軽く緩んでいた。
いい気分転換になっているのだろう。



〜〜 (またひとつ:H13.3.24記)〜〜

3月15日、母がまたひとつ年をとった。
81歳である。
少なくとも私が知るわが家系のご先祖様の中で一番の長生きである。
ただ、平和な世の中、元気で動いていれば、 もっと楽しいことが体験できたのにと思うと残念である。

一方で、寝たきりになった母は 、私たち兄弟に多くの人間としての生き方、死に方を身を持って教えてくれているようでもある。
ある面エミ姉ちゃんにとっては、つらい日々が続いていたかもしれない。

それなりに安定した母の病状と整った介護体制は、 エミ姉ちゃんの心のやすらぎをもたらすものになりつつあるようだ。
母が倒れて2・3年バタバタしていたころに比べれば、格段の差があるように思える。



〜〜 (母の久しぶりの一言:H13.3.31記)〜〜

春。猫のプーニャンも歓迎の挨拶を尻っぽでしてくれる。
くるくると回すのである。
さらに、外に出たいときは、窓越しに庭を覗きながら、 ニャオーニャオーと。
一方の母は相変わらず、手が揺れるだけで、言葉をほとんど発しない。

いつものように、「こんにちは元気か」
母は何かをしゃべろうとするのだが、言葉にはならない。
きょうは三度も言ったが、それでも応答はなかった。

その後、エミ姉ちゃんが「ヨッチャンがきとるが返事せにゃ」・・・・・しばらくして
「うるせえなあ」の弱々しいながら威勢のいい言葉が返ってきたのだ。
その言葉に、エミ姉ちゃん「まあー」の一言だった。



〜〜 (エミ姉ちゃんの一息:H13.4.7記)〜〜


先日予告したとおり、エミ姉ちゃんは小旅行に出かけた。
母はその間ショートステイである。
その小旅行は散々だったらしい。
決行日の二日前から、体調を崩し、当日まあ大丈夫だろうと出かけたのだ。

温泉につかったのはいいのだが、血圧が一気に上がり170ぐらいになったらしいのだ。
せっかくの小旅行もさっぱり面白くなかったらしい。
まだ続きがある。
自宅に帰ってからリンパ線が腫れ、口内炎もでき、 眼も痒くなり、別人のように眼から下が腫れたらしいのだ。
疲れが出たのかもしれないのだが、どうも季節の変わり目の春、 だれしも体調を崩しがちのようである。



〜〜 (母のふたこと:H13.4.14記)〜〜


いつものように,母を見舞う。
いつものように調子を聞く「おかあ〜さ〜ん調子はどう〜元気か〜」と
「え〜え」とひさしぶりに言葉らしい言葉が
対話といえるかどうかわからないが,通じているのだ。

たった二語だが,嬉しかった。
そして,エミ姉ちゃんと談笑しながら, 一時間を過ぎた頃,ゆさゆさと芸予地震(3月24日(土)発生)がやってきたのだ。
たった30秒ぐらいだというのに,実に長く感じられた。

今回のは何かつぶれそうな恐怖感があった。
帰り時間いつものように母に声をかける。「また来るからな」
母の口からは「う〜」だった。


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