〜〜 (母の言葉:H12.12.2記)〜〜 週一回,エミ姉ちゃん宅を訪問する。 まず,仏壇にお線香をあげ,じいさんとおやじの写真を見る。 そして,母の寝ているベッドへ。 母の顔に近づき,「お〜い」と声をかける。 次に「元気か,いまどこにいるのか」と 返事はない。 しばらくして,絞るような声で元気だと返ってくる。 それなりに調子がいい時,返答は早くなる。 そして,帰るときに「また来るからな」「また来て」で会話は終る。 実に短いフレーズなのだが,これが今を生きているということなのかと思ってしまう。 |
〜〜 (エミ姉ちゃんの十円ハゲ:H12.12.9記)〜〜 男のハゲはあまりめずらしくない。 そういう私もハゲだ。養毛剤で少し抵抗したがだめであった。 世の男性も,若さを保つべくいろいろ工夫しているのだろう。 女性となれば少し違う,今昔髪は女のいのちと言われている。 エミ姉ちゃんの十円ハゲ,できてから久しい。 十円ハゲが一帯ハゲになり。 そのまま聞くこともなくきていた。 義兄の仕事,息子の仕事,娘の仕事。 さらに母の介護,気になることばかり続いていた。 かえって開き直れたのか,この間,いつのまにか治ったと・・・・ はえている髪で隠していた部分を見せてくれた。 役に立っておりませんが,私,大いに感謝しております。 |
〜〜 (体温計と血圧計:H12.12.16記)〜〜 介護者としてのエミ姉ちゃんが,離せない道具はいろいろある。 その中でも特にその日の体調を見るには,体温計と血圧計は欠かせない。 季節の変化による外気温度や湿度,母の病気パーキンソン病は,特に体温調整ができないから, 空調や石油ストーブにより冷暖房の管理をする。 さらにふとんを何枚もかけたり,またとったりと介護者の仕事は,季節の変わり目には忙しくなる。 少し体温調整がうまくいかないと体温計に現れてくる。 母の場合, 通常でも微熱があり37度前後となる。 最近は,調子が悪いと血圧も急に上がるという。 うえが150超過,下が100超過となると少し不安になるとか。 |
〜〜 (新しい胃栓:H12.12.23記)〜〜 胃に穴を開けてから,もう1年以上が過ぎた。 その間,二度胃の栓なるものを交換した。 一度目の時は前のタイプと同じ栓で, 特に問題なく交換は終った。 この時,エミ姉ちゃんは,友達の車で母を病院に連れていき交換してもらった。 交換のあと,先生の検査を待つ時間が長くこたびれたと言っていた。 二度目は,義兄の車で連れていったが,予約の行き違いで11月になった。 交換は無事に済んだのだが,栓のタイプが前と違っていた。 やり方等の説明もなくそのまま帰宅。 いつものように流動食を点滴で胃に・・・。 ところがである。 流動食があふれかえり大騒ぎになったのである。 ふとんもぬれてしまったのだ。 と言っても次の点滴で一度に倍入れるわけにはいかない。 ちょっとしたことなのだが,患者や看護する立場にたったやさしさをもう 少し発揮してもらえないものなのかと思ってしまう。 |
〜〜 (深爪:H12.12.30記)〜〜 訪問看護センターから,毎週木曜日2名やってくる。 入浴をさせてくれるのだ。 そして,オシッコの管を二週間に1回交換してもらい,床ずれの治療もしてもらう。 その他,母の体を点検しながら時には,伸びた爪を切ってくれるのだが。 こんなことがあったのだ。 それは爪を深く切りすぎたうえに身まで切ったのである。 しかし,その看護の人はそのことを言わない。 母はほとんどしゃべらないのだが, 妙に苦渋の顔をしている。 エミ姉ちゃんはおかしいと思いながら,見てみると指から血が出ているのだ。 看護の人に問うと素直に謝ったので, まだ若い看護婦さんだったことからもそれ以上問い詰めはしなかった。 でも,「問われて白状するようでは相手の痛みなんてわかるわけがない」とエミ姉ちゃん・・・。 |
〜〜 (新しい胃栓パート2:H13.1.6記)〜〜 母も寝たきりになって今年で8年目を迎え,年齢も3月で81才になる。 時には長生きをしても寝たきりではと思ってしまうことがある。 でも私たち,子供にとってはこころの支えである。 11月に交換した胃栓だが,やはり調子がよくなく,一時はラップを使用したりしていた。 エミ姉ちゃんにその後の調子を聞いてみたところ,使い慣れたせいか, ラップも使用しないでうまくいっているとのこと。 毎日の食生活に影響するだけに,一安心というところである。 |
〜〜 (新しい胃栓パート3:H13.1.13記)〜〜 やはり、新しく変えた胃栓の調子が悪い。 すべて入れた栄養流動物がもれてしまったのだ。 度重なる流動物のもれに、エミ姉ちゃんも疲れ果て、かかりつけの病院へ胃栓交換を依頼した。 前回一度すっぽかされているので、慎重に予約をした。 特別注文の栓のため、その当りもよく確認してもらい、12月28日13時となったのである。 仕事納めの日だが休暇を取って、母の運搬係をすることになった。 パーキンソン病で硬直した母を持ちあげ、車に乗せるという大役なのだ。 乗せるやり方を自分でイメージしながら、エミ姉ちゃん宅へ。 |
〜〜 (新しい胃栓パート4:H13.1.20記)〜〜 まず,車の補助席を開けておき,玄関も開けておく。 ベッドに横たわる母を自分一人で持ち上げられるか,確かめてみる。 栄養剤を胃に直接入れるようになってから,母の体重はかなり増えているようだ。 シャープペンやパソコンしか持たない事務職の私にとってかなりの重さだ。 一気にいこうと思ったが,やはり無理だった。 玄関先で少し休んでなんとか車までたどりついた。 そして,いつもの病院へ,玄関先で車を止め,車台を自分たちで準備して・・・。 母を抱いて乗せる。 少しなれてきた。 2階へ,ここではないと1階へ。 担当の先生が,新々タイプの胃栓に交換してくれた。 うまく胃の中に装着できているかレントゲンを撮る事になった。 そこで事件が起きたのだ。 |
〜〜 (新しい胃栓パート5:H13.1.27記)〜〜 診察室からレントゲン室の方へ車台に母を乗せたまま移動する。 若い医師と看護婦が付き添ってくれた。 母はレントゲン室,私と姉は外の長いすで待っていた。 しばらくすると,医師の「大丈夫ですか、大丈夫ですか」という声がする。 またしばらくしてまた,「大丈夫ですか、大丈夫ですか」という声がするのだ。 母は,ほとんどしゃべらないから痛くても何もしゃべらないのだ。 エミ姉ちゃんは,落したのでないかと気になりレントゲン室に入る。 車台からレントゲンをとるために別の台に移すときにどうも母を落したらしいのだが。 失敗した行為に対して説明も,一向に謝る気配もない。 胃栓を交換にきたのに,骨にひびが入ったり折れていたら,病院に何しにきたか わかったものではない。 予定外の別のレントゲン室に移って,骨の異常を調べることになったのだ。 どうなっているんだ,寝たきりで動けないからといって, 人の扱いがまるでなっていないこの病院は・・・。 過去,胃栓の予約連絡を失念していたのもよくわかる。 さてさて「新しい胃栓」の話は,まだまだ続くのである。 |
〜〜 (新しい胃栓パート6:H13.2.3記)〜〜 骨のレントゲン撮影も終り,あらためて若い医師が「胃栓については,正常に取りつけられています。骨についても異常はありませんでした」という。 「念のため専門の医師に写真を見てもらいますので」という。 レントゲン室から診察室へ移動する。 看護婦はまだ何も言わない。 骨についての最終結果も専門医師が異常ないと診断してくれほっとした。 診察室に入り,担当の医師から詫びがあり,看護婦からも詫びがあった。 帰宅後,異常があればすぐにお連れくださいとのことであった。 ほんとに大騒ぎの胃栓交換であった。 病院の待合室を見て,驚いたことがある。 鼻へ管を通し,酸素ボンベを自分で持った患者6人が集合していた。 時代が違えば,生存率の少なかった心臓病も,こういった形で生かされているのだ。 延命措置は生への執着心と死への恐怖心をあおっているようにも思える。 |
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