〜〜エミ姉ちゃんのストレス(H.9.7.5記)〜〜

エミ姉ちゃんは、母が病気になって寝たきりになった時から、縫製の仕事をやめた。
夫には迷惑をかけられないとすべて介護は自分でしている。
朝6時に起床し、夫、息子、娘の朝食準備と昼食弁当作り、そして母の食事の準備。
3人を送り出してから、母の介護となる。

食事をさせてから、床擦れの治療、寝返り等々、 この寝返り、母はパーキンソン病から体が極端に硬直し、太っていないわりに結構重い。
かけ声をかけないと寝返りを打たせられない。
エミ姉ちゃんの腕力は相当のものである。
ポパイほどではないが、力こぶがでる。

最近エミ姉ちゃんの元気がない。
週1回エミ姉ちゃんの家を2・3時間程度訪問する。
訪問すると言っても介護をするわけではない。
母に声をかけ挨拶をする程度となる。
寝たきりになった頃はなんだかんだと母は文句を言っていたが、 そんなことは一切言わなくなってしまった。

訪問の目的はエミ姉ちゃんの一週間の話を聞き役ということになる。
姉は買い物、鼻の治療以外で外出することはほとんどない。
母のことでいろいろあっても、グチをこぼすところがない。
最近どうも好きなビールが飲めないらしい。
そういえばビール腹だった、お腹が少しへっこんでいる。

………………めまいがするからということで、メニエール病の疑いがあったが、 検査の結果どうもストレスとともに更年期障害の前触れのようである。
女性は50歳前後、閉経を前に更年期障害がくるらしい。
それも人によってその度合いが極端に違うらしい。

(メニエール症候群)
発作性めまいを繰り返す原因不明の症候群で、めまい、耳鳴り、難聴の三兆候をもつ。
近年急激に患者がふえているが、一般に男性が多く、子供や老人にはまれである。
高血圧や動脈硬化などには無関係でこの発作だけで死ぬようなことはない。
フランスの耳鼻科医メニエールが1861年に発見。




〜〜糞闘記(H.9.7.12記)〜〜

食事の世話も大変であるが、食事をとれば当然自然の摂理として、下の世話がある。
オシッコは管を入れているが、時々外れるぐらいでさほど心配しなくてもよい。
一方、ウンチの世話となるとかなりの行動力がいる。
週2回糞闘の前日に下剤を飲ませる。
当日座薬を入れる。待つこと2時間、ウンチを回収することになる。

自分のウンチも臭いが人のとなると余計に臭く感じる。
回収したウンチを一目散にトイレヘ持っていく。
エミ姉ちゃんのこの動作の俊敏さには感心する。
私は時々その臭いだけの恩恵を受けることになる。

前日・当日の薬物投与にもかかわらず、出るものが出てこないと エミ姉ちゃんは本人以上に心配する。
自分で動ける時は、自分で排便するのは当たり前の話なのだが、 寝たきりの本人にとってその力はない。
エミ姉ちゃんは糞闘中、 私に気を遣って襖を閉め臭いをシャットアウトする。

(一休禅師)
よの中はくふて糞してねて起きて、さてその後は死ぬるばかりよ、 生まれて来てその前世を知らざれば、死にゆく先はなほ知らぬなり、 生は仮の宿であり、死も空、死後も知らぬという




〜〜院内感染(H.9.7.19記)〜〜

手術後の人間に感染すると肝機能障害、腎障害等を併発し、 手術に成功しても、予想もしない急激な容態変化から死を向える。
この言葉は笠岡在住時にある病院が感染しているとのニュースを聞いた。
まさか、この院内感染に母が関係するとは考えが及ばなかった。

日本はアメリカのように院内感染についての取り組みが浅い。
母の場合、一年間の寝たきり生活で床擦れがおもわしくないことから、 3カ月ほど入院させた時、〇〇病院内で感染し、いまだに保菌しているのである。
この菌は健常者に移ったとしても下痢をする程度で何ら問題はないが、 手術後の傷痕に入り込むと事は厄介となる。

患者をなおすべき病院でこのようなことがあるのだから、患者の立場からはどうしようもない。
現在に至るもMRSA菌を根絶すべく、床擦れ治療のガーゼをイソジン液につけて消毒する。
そのガーゼを床擦れ個所に貼る。これ以外に現在の対策はない。
月に一度、〇〇病院からMRSAの治療と検査に先生が訪問にくるのだ。

(MRSA)
病院の中にしかいない、抗生物質に耐性を持った菌で、耐性の黄色ぶどう球菌 という。一般的にはいわゆる院内感染と言われている。

(クロの朝の体操)
朝起きると自分の尾っぽを相手にグルグルと追いかける。
納得のいくまで追いかける。
この体操がすむとソファと壁の間の隙間に頭から入り、体が全部入ったかと思うと、 またソファの表舞台に出てくる。

この体操が一通りすむまでに、 ちょっかいを出すとご機嫌が悪い。
太ったクロのエミ姉ちゃんしか知らない、朝の体操である。




〜〜介護体制の確立パート1(H.9.7.26記)〜〜

高齢の介護者を抱えることになった家庭において、 最初に家族が突然倒れた時には、たとえ寝たきりになったとしても、 そんなに介護が長くなるとは、ほとんど考えていないのではないだろうか。
だから、倒れた時点では、万全の介護体制とかを取るはずもなく、 とれあえずの様子見の体制ということになっていると思われる。

事実、わが母も倒れて入院後、外見の傷が癒え、退院したが、 本人の意識の状態・気力、病気の内容から、退院後2・3カ月が一番危なかった。
その時はとうとう来るものがきたのかと家族会議を開き覚悟を決めていた。
ところが、1年が過ぎ、2年が過ぎ、4年目がもうすぐ過ぎようとしている。
1年目、エミ姉ちゃんは、公的介護に全く頼らずに世話を続けていたのだ。

介護体制の準備について、私の母を例にとれば、 3カ月を過ぎると長期になりそうなのか見えてくるから、 その時点で、本格的な体制作りについて、
家族の中で誰が見るのか、病院に預けるのか、家で介護するならその他の家族は どのような形で応援するのか、介護器具は十分か、ショートスティ、訪問看護の利用とか、 家族会議を開いて考えるべきだった。

エミ姉ちゃんは、母の再入退院後二年目頃から、公的介護のお世話になることにしたが、 それから4年目の安定した介護体制を作り上げるまでには、結果として エミ姉ちゃん一人に相当な負担をかけることになってしまったのだ。

ほとんど何もできなかった私だったが、 エミ姉ちゃんの長期間の母の介護状態で教えられたものが多くある。
兄弟の絆、 人の命・死、町医者先生へのかかり方、訪問介護サービス、歯科治療、訪問治療、 ショートステイ、入浴サービス、公的介護の手続きの煩わしさ等々。
寝たきり老人の母と介護者の姉に大いに感謝している。

ただいつも気になっていたのは、 介護者は自分が世話をするのだから、 国に世話までしてもらわなくてもいいといったことをまず考えるらしいということだった。




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