〜〜 (床擦れパート4:H9.11.29記)〜〜

床擦れが気になっていたエミ姉ちゃんから「重大な話がある」と言われ、 少し身構えた形でその話を待っていた。
というのは「床擦れパート2」で紹介したように、 エミ姉ちゃんから、手術はしないとの宣言を聞いていたからである。
いつも床擦れ治療をしながら、前回手術はしないと判断した時以上に、 奥行きが広がっているというのである。

エミ姉ちゃんも気になり、訪問看護婦の人を通じて病院の先生と相談の結果、 「手術をしたいがどうか」と私にもちかけたのである。
手術は局部麻酔で自宅でできるという。
ただ、手術後の肉・皮膚の回復は、鼻から栄養素を取っている患者と違い、 相当時間がかかるのではないだろうか。

本人はすでに床擦れの痛みは感じていないように見える。
「心配なのは、麻酔をしたらそのまま天国へ行ってしまっては困るので」 と苦笑しながらエミ姉ちゃんは言うのであるが、
看病する姉がしんどいのではとそのほうが私は気になる。

幸い母はパーキンソン病で体が硬直状態であり、床擦れの痛みもないから、 手術後も動き回ることはないと推測できる。
床擦れ(壊疽)が進行し、 先生が手術が望ましいというのであればお願いしてもよいのではと、 エミ姉ちゃんに返事をしておいたのであるが。




〜〜 (呆けパート2:H9.12.6記)〜〜

日常生活の中で、人の名前がでてこない、 あるいはふと自分はいま何をしていたのだろうかと思うことがある。
そんなとき自分はボケが始まったのではないかとか。
「ああボケとるな」と妙に笑ってごまかしたりする。
そんな話や情景はだれしも記憶の隅にあるのではないだろうか。

昔から馬鹿に付ける薬はないというが、ボケにもいまのところ付ける薬はないのである。
「散骨代とお駄賃を残しておきます」(岡田信子著)という本の中に、 ボケには初期・中期・末期があり、それぞれ @初期……物忘れがひどくなる。
やったことを覚えていなくなり、それを取りつくろっていろいろ言い訳する

A中期……見当障害、人物、季節、時間、場所の見当がつかなくなる。
失禁や徘徊症状
B末期……失禁や徘徊症状が悪化、ついには寝たきりにも
とその段階ごとの症状が紹介されている。
そういえばサラリーマン生活において、 すぐ言い訳をする輩がいるが、これもボケの始まリか、 うそボケということでありましょうか。

では、母はボケているのだろうか。
エミ姉ちゃんに聞いてみた「ボケてる本人は自分からボケてるとはいわんじゃろう」 との返答があった。
妙に納得したのである。




〜〜 (呆けパート3:H9.12.13記)〜〜

「散骨代とお駄賃を残しておきます」(岡田信子著)という本の中に、 ボケ退治法として次のようなことが書かれている。
@まず己を知り改善すべきことを柔軟に受け入れること
A自己診断の後一人暮らし乃至は一人ぼっちの立場を哀れむのはやめる
Bボケ防止の知恵……独り言の活用、会った人に声をかける
C老いは食から一日30品目
の4項目が紹介されている。

まず@の自分を知ることは大切だと思うが、 「改善すべきことを柔軟に」これは年をとれば保身に走り頑固になる、 まず無理ではないだろうか。
Aについては、単身赴任である私でも同じことを実行している。
賛成できる。
Bについては、会った人に声をかける、 老若男女を問わず実行すべきことではないだろうか。

ただ、独り言についてはあまり賛成できない。
というのは通勤道を歩いているとこの独り言を言う人に最近よく会い、 その周囲の人が怪訝な顔をしながら通りすぎていくからである。
Cについては、単身赴任者である私も注意をしている事項でありますが、 守れたためしがないのだ。




〜 (三毛猫プーニャンと母とクロ猫クロ:H9.12.20記)〜

エミ姉ちゃんの家には二匹の猫がいる。
先住のプーニャンは,母が寝たきりになる前に先代のシャム猫がいなくなって, その空きをどうやって見つけたのかすぐ飛び込んできた。
そうこうするうちに太り気味で甘えん坊のクロが闖入してきた。
二匹はけんかもせずに仲よく同居している。

三毛猫プーニャンは野性そのもので,ネズミを捕ったり, スズメを捕って食べ,口の周りを血だらけにしてご帰還されるとか。
エミ姉ちゃんはプーニャンを抱こうとするがいやがり, ものの1分も膝の上でじっとしていない。

一方のクロは抱かれるのが好きでほっとけば膝の上にいつまでもじっとしているらしい。
プーニャンは一旦外に出るとなかなか帰ってこない。
クロは出たいとき戸口の前で鳴くが、戸を開けてやってもなかなか外に出ない。
押すように外へ出してやるが,30分もしないうちにクロは帰ってくる。

この二匹は寝たきりの母の暖かいベッドが大好きである。
クロは心得たもので,布団のかかった母の足の上には乗らないが, プーニャンは大胆にも布団のかかった母の足の上に乗る。
しばらくすると母が「重いのお………」とつぶやく。
そして,エミ姉ちゃんが「こらー」と一喝するのである。




〜〜 (家族ということ:H9.12.27記)〜〜

母が寝たきりになって5年目を迎えている。
介護者はエミ姉ちゃんである。
実の娘である。
母が寝てから、先祖をどうするかで兄姉私で話すきっかけができ、 私自身も居を構えたことから、年数回兄弟で飲む機会ができている。
と言ってもこの機会を作るまでに相当の期間を要した。

兄姉私がそれぞれの家庭を築いたものの、 私はサラリーマンの転勤生活で地元にいる期間は全くなかった。
また、それぞれの家族に家庭の事情があり、 健康であれば連絡しあうことはほとんどなかったのである。
当然飲む機会などは全くといってなかった。

母が寝たきりになって、初めて家族とは兄弟とは、先祖とはと考えるようになった。
その間、新しい家族ができた時、私が結婚して母が独居生活にはいった時、 義理の兄が母の土地を買い取って家を建てたとき(母と同居)、 それぞれの出来事でわだかまりができ、 なかなか家族集まって酒を飲もうという雰囲気にはならなかったのだ。

いずこの家庭も大なり小なり家族間のトラブルはあるのではなかろうか。
寝たきりの母には申し訳ないが、
母が寝たきりになったお蔭で新しくて古い交流が生まれ出したのである。
「おかあさんありがとう」「エミ姉ちゃんご苦労さま」。



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