〜〜 (エミ姉ちゃんの心労:H10.1.3記)〜〜

母が寝たきりになって5回目の正月を迎えた。
この時期エミ姉ちゃんは2回目のショートスティを利用する。
12/31日から1月6日までである。

このショートスティで母を特別養護老人ホームに預ける時、 エミ姉ちゃんの口からはいつも「申し訳ない」という言葉が出てくる。
多くの介護者の方はこう思っているのではないだろうか。
この言葉を聞くと何もしていない私は気はずかしくなる。

そんなエミ姉ちゃんの家庭に大きな事件が起きてしまった。
息子(成人しているおい)のアトピーが最悪の状態になり、 自宅で寝たきりになってしまったのである。
過去皮膚科の医者の出される薬をそのまま使用し、 ステロイド剤という薬でリバウンドを起こしてしまったのである。

11月下旬から12月上旬まで、睡眠不足の毎日が続き、 疲れはピークに達していた。幸い母の病気が安定していたからよかったが、 『寝ていた自分の息子に「お母さん手を握っていてくれ」 (39度という高熱が続いたため)といわれた時は、とても辛かった』
と息子の病気が安定した時、しみじみと私に語りかけた。

ただ私は頷くだけであったが………。
姉から、おいのケロイド上になった素顔を見せられ、あまりの壮絶さに 言葉も出なかった。
その後、熱も下がり、徐々に回復していったのであるが・・・。




〜〜 (「いのち長き時代に」を読んで:H10.1.10記)〜〜

最近、朝日新聞に「いのち長き時代に」(憎悪をこえて)という記事が、 12/13〜22日の間8回に渡って連載された。
どの話も21世紀に高齢者の仲間入りをする私にとって、 胸が苦しくなるものを感じた。

年をとることの意味、 健康であればそれなりに長生きできる時代になって、 では長生きした人間はどういう死に方を選ぶのか?

人はわが身が思う程、死に方は選べない、それは当たり前のことなのだが、 明治・大正・昭和時代は寝込まず嫁に迷惑をかけないでコロリと死にたい。
「嫁入らず観音」というのがそれをかなえるものなのである。

普通の人々がそう思うのとは逆に、今の時代はそれをますます困難にしている。
世の移り変わりとともに独身を貫くもの、 結婚しても晩年離婚するもの、子供を作らないもの、一人っ子、 時代は完全に変わっているのである。

そんな少子高齢化社会を迎えた高齢者をテーマに 「高齢者たちの胸を突いた川柳」をはじめ、 それぞれの回にそれぞれの感想が浮かんでくる。
その感想を次回から乗せたいと思っている。





〜〜 (「いのち長き時代に」を読んでパート1:H10.1.17記)〜

副題:「高齢者たちの胸突いた川柳」「長生きして欲しい,でも………」

ストーリーはオール川柳に寄せられた最優秀の特選作品「老人は死んで下さい  国のため」という一句の波紋,句に対し二分する意見で始まる。

Aさんは「なんてことを言うんだろう」と腹が立ち, お返しの歌「苦労して豊かな国に誰がした/感謝せずして死んでくれとは」 (この句からすれば波紋の一句を若い人が読んだような錯覚を しているのではないかと私は思うが)

を披露したが心の内には別の気持ちもあった。
一方では十分でない福祉や「世間の本音」を鋭く皮肉っているという。
句の作者は76才。 看護婦として40年働いたBさん(73才)は共感したという葉書を 出版社に出した。

これからどう生きてどう人生を締めくくるのか, 子供には迷惑をかけたくない。
Bさんの句は「死になさい 生きてください 迷わせる」。
------------------------------------------------------------
家族の本音は副題にあるように「長生きして欲しい,でも………」 だろうと私は思う。
日本人は特に死とか, 縁起の悪い言葉を避けたがる。

常に死を迎える人と直面している人にとっては ごくあたりまえのことなのであるが。
人間も他の生物と同じように生まれた以上, 年老いてかならずいつかは死を迎える。
そういった自然の摂理から目を遠ざけ, 死を人間の現実世界から追いやってしまっている。

死生観をもち,老いとか死とかを素直に見つめ, そして生を大事にする。
そういった観点から考えれば, この一句は現実を見つめ,素直に出た句ではと思うのだが。




〜〜 (「いのち長き時代に」を読んでパート2:H10.1.24記)〜
副題:「義父母の介護は義務なのか」「仕事を捨てた嫁の苦しみ」

Aさん(44歳)は結婚13年目で義母が痴呆症,夫は長男ではないが, 夫の父母と同居,Aさんはやむなく教師退職。
周囲の無理解,特に夫の協力が得られない。
跡取りの嫁が面倒を見るのが当たり前という雰囲気。
その義母もなくなり長女が小学校に入学した日, 教室に入った瞬間担任の姿に昔の自分の姿が重なった。

Bさん(49)は夫の両親介護のため,去年職場を去った。
夫は東京へ転勤長女は東京へ進学,夫の両親と3人暮らし。
仕事から帰宅後義父母の食事作り, 月に2回帰郷する夫が一緒の夜はよく眠れるが, 一人のときはなかなか寝付けない。
最近はようやく前向きでいようと考えるようになった。

そして,職業能力開発センターへ週に5回通う。
義父母のために自分が犠牲になっているとは思いたくないから。
------------------------------------------------------------
わが家族の場合,実母の面倒はエミ姉ちゃんが看ることになった。
それも一番しんどい介護を要する時期に, エミ姉ちゃんは仕事をやめざるを得なかったのである。
社会保障制度が充実していない現在, 老親介護を誰が引き受けるのか。

介護の問題を巡って兄弟, 親戚の中に憎悪が付きまとい, 介護問題で家族が疎遠になってしまうケースは はっきりいって多いのではなかろうか。
ようやく介護保険制度ができあがり, 男女雇用機会均等法の改正(1999年), 形の上では女性が社会により進出しやすくなりつつある。

男社会がまだ根強い世の中,男女の役割をたてに, 男性が介護という言葉から逃げ, 一方では女性も近所の目を気にしつつ、 介護は家族でしかも女の役割ということを絶対的なものとして 肯定されているように見える。

社会保障制度の進んだヨーロッパのように, 介護は社会全体で看るという考え方への切り替えと、 男社会から男女社会への切り替えがない限り, 女性が仕事を捨てざるを得なくなるのではないだろうか。
また,急速な少子高齢化社会を21世紀に向える日本は, 大きな転換を迫られているのだ。




〜 (「いのち長き時代に」を読んでパート3:H10.1.31記)〜〜

副題:「公の世話になりたくない」「長男の嫁,家族と離れ介護15年」

Aさんは家族と離れ,義父の看病のため義母と同居。
義父死去後も逆らえない流れに乗ってしまいそのまま同居。
続いて義母が寝ついた。

義母は体の自由がきかなくなるとわがままが目立ち始める。
夫が義母に意見したが「あんたも寝てみなさい。私の気持ちがようわかる」 と言って通した。
自宅に帰ったのは9年間でたったの4回。
義母は「嫁に見てもらいます」と言って公的なサービスを嫌がった。

96才で義母はなくなり,夫との別居15年、
Aさんはすでに72才, 3人の子はすでに独立。
---------------------------------------------------------------
年老いた両親,実・義理を問わず,最後の面倒を誰が看るのか,家族として, 人間としてだれもが介護したものへのねぎらいの言葉を忘れてしまっている。
これほど心も体もズタズタになる介護者に、 追い打ちをかけるような言葉を浴びせる。

その時介護者は「私がなぜ面倒を看なければいけないのか」 と心にポッカリと穴が空いてしまう。
いまでも日本の女性は「公の世話になる」ことへのためらいがあり, 世間の目は冷たい。介護者として常に犠牲となるのは女性である。

一方で夫と妻へのこんなアンケートがあった。

「あなたは寝たきりになったときだれに面倒を看てもらいますか」 という問いに対し,夫は妻にと回答している%は, 妻は夫にと回答している%よりはるかに多いのである。

そんな夫は元気なときに妻を大切にしているかというと, 仕事に追われ家庭をほったらかしにしているのである。
40代の早い時から妻を大切にしてないと、 やがて介護をしてもらうという以前に、 濡れ落ち葉になって定年・熟年離婚が先にやってくるかもしれない ということを、強く肝に銘じておくべきなのだが・・・。 私の周りを見ても同世代で、そんなことを気にかけている様子はない。




〜 (「いのち長き時代に」を読んでパート4:H10.2.7記)〜〜

副題:「世間の目に囲まれて」「他人様の世話になりたくない」

Aさんの病床の義母は民生委員が来たことにより公的介護も 介護用品の借用もすべて断ってしまった。
自尊心を傷つけられたらしかった。

義父は家政婦を雇い介護する家族の負担を減らそうと考えた。
Bさん(57)は在宅介護の訪問指導をしている。
ある日,Bさんは夫が痴呆で困っているというCさん宅を訪問したところ, 車のボディーに「・・協議会」と書いてあるため, 自宅から少し離れて止めて欲しいと言われた。
招かざる客なのだと痛感した。

Dさん(71)は老人ホームの理事長で医師でもある。
Cさんは入所して5年になる,もともと心臓病があり,最近思わしくない。
DさんはCさんを診断し,「今度はダメだな」と家族に連絡した, 息子の妻は臨終間近の義母を家に連れて帰るという。
老人ホームで死を迎えさせたくないのである。
------------------------------------------------------
世間体という言葉がある。
日本人の40代以上の世代には,人の目, 社会の目を常に気にするところがある。
現代のサラリーマンは転勤が当たり前, 自分が死を迎える最終地はどこか。

居を構えても単身赴任, 休日にある町内会の行事にはほとんど顔を出すことがない, できない,近所付き合いもほとんどない。
根無し草である。
定年になったから早速近所つきあいをといっても, 簡単にその輪の中には入れないものなのである。

地域活動もどんどん薄まっている時代にもかかわらず, まだまだ世間の目を気にする人はたくさんいるのである。
一日も早く後ろめたさを感じることなく、 ごく普通にだれもが簡単な手続きで利用できる介護体制の確立が望まれる。



・メニューへ(ここをクリックしてください)