〜 (「いのち長き時代に」を読んでパート5:H10.2.14記)〜〜
副題:「ホームに預け優しさが戻る」「地獄の向こうに見つけた笑顔」

Aさん(49)実母の電話で実家の父が突然脳梗塞の発作,と同時に母の痴呆。
この日を境に老後生活が一変,そして父の死。
Aさんは通信教育で介護福祉士の資格をとり, 老人を介護している家族の会にも顔を出すようになった。

Bさんは母が痴呆と診断された。
徘徊を繰り返したり, 赤ちゃんのオムツも満足に替えられない母が疎ましくなっていた。
1回目の老人ホームの紹介は断った。
二度目の紹介で老人ホームへ入所させた。
週に一度ほどホームを訪問し近況を話す。
母の表情は見違えるほど穏やかで明るくなった。

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「介護者には二つのタイプがあるという苦労を受容して達成感にまで高められる 人とできない人。多くの人は後者である」
苦から生きがいを見つけ出すことはまれである。
多くのケースの場合,社会的に認められる方向へ自分を高めるのではなく, 家族の中でのわだかまりを持ちながら,嫌気がさすケースではないだろうか。

継続したやさしさがそのわだかまりを解かしてはくれるのであるが, 日常の単純な変化のない生きるという作業においての継続という作業は感情が あるゆえに至難なのである。

ホームに預けること, 普通の家族の中にはまだまだ父母を捨てるようでなかなかふんぎりが つかないのではないだろうか。
しかし,介護する人のことを考えれば家族だけによる世話から 社会全体が面倒を看る時代へと移行していかなければと思う。




〜 (「いのち長き時代に」を読んでパート7:H10.2.28記)〜〜

副題:「優しさの継続にプロも悩む」「年寄りは言葉がほしいの」

パート6のAさんのケースの続きである。
Aさんは特別養護老人ホームを何度か訪問するたびに、 お年寄りの心の底を見るような気がした。
16冊目の介護ノートも終わりかけた今年, Aさんの母は娘や息子に看取られ息を引き取った。

Aさんは母をホームに預けたことで、 家族は最後まで余裕を持って接することができた。
特別養護老人ホームのナースコール事件。
ナースコールの押しボタンが布団の下に敷き込まれていた。
夕食事件,夕食の配膳をした新人寮母が声をかけずにおいていった。
「・・・人は死が近づくとき,ただただ心がほしい。優しい手が欲しい。 目が欲しい・・・」

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「人は人によりて人になる」(井上昌俊著)の中に 「精神の自立が欠如すると人は相手に優しさを要求したくなる」 というフレーズがあった。
年を取るとちょっとした何かのきっかけで寝たきりになってしまう。
人は自分で何も出来なくなったときひたすら優しさを求めるようになる。
寝たきりになってしばらくが一番不安なのではないだろうか。

特養ホームの寮母の仕事, 精神的にも肉体的にも相当ハードな仕事ではないだろうか。
人間だれしもすべてに優しくはなれない。
エミ姉ちゃんは実の母の世話だから, 母からしつこく要求されると「何をよんで」とか, 眠ってばかりいると「おーい起きなさい」とか、 遠慮なく言うことが出来る。
だが最近1年,母はほとんど喋らなくなった。




〜(「いのち長き時代に」を読んでパート8:H10.3.7記)〜〜

副題:「同居がようやく人生の一部に」「少しはやさしくなれた気がする」

一人娘としてAさんは(46),
脳出血で倒れた実母を夫のやさしい言葉で引き取ることとした。
しかし,実の母がゆえにぼけてわけのわからないことをするたび, 母をひっぱたいたし,憎しみの感情がわいた。そのAさんを夫は励ました。
やがて,実の父も引き取った。

ところが,夫は3年前にガンで逝った。
「弱いものにやさしく」「こっちの世に飽きたらおれのいる所へおいで」 の言葉を残し。
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死ぬ時期はだれも選べない。
介護という問題に直面し, 義理でも実でも老親の世話を看ることは相手のわがまま, いんぎん無礼な言葉にもたえなければ,持続はむつかしい。

わりきって特別養護老人ホームに預け,足しげく訪問介護する。
一人の責任として老親を面倒看るのは, 精神的にも肉体的にも相当ハードであり, 病状が安定するまでの間,病気への本人の戸惑いが出, どうしてもそばにいるものにすがりたくなる、 そんなときにわがままが全面に出てくるのでないか。

このケースのように、 よき理解者である夫の死はさらに介護者をムチ打つものではないだろうか。
一日も早い,社会全体での介護体制の確立が待たれる。




〜〜 (家族ということ:H10.3.14記)〜〜

1月義兄がお世話になった方がなくなられた。
私の家を建てていただいた方でもある。
エミ姉ちゃんもお葬式の世話を是非したかった。
特別養護老人ホームへ急遽ショートステイを頼んでみたが, うけてもらえなかった。

単身赴任である私には頼めない。
疎遠だった兄夫婦とは2年前から雪解けとなり, 飲み会は定期的にやっていたが, 兄夫婦は途中介護するエミ姉ちゃん宅をほとんど訪問することはなかった。
姉が介護するということで、任せられると思っていたらしい。
義兄が「兄夫婦に頼んでみたら」ということで エミ姉ちゃんはおそるおそる電話を義姉にしてみたのである。

エミ姉ちゃんは心配していたが, 義姉は快く休暇を取って引き受けてくれたのだった。
エミ姉ちゃんの話によれば, 義姉は母の食事に1時間を要したとの報告があったとか。

その当日は運よく訪問看護の日であり,途中から兄も応援にかけつけたとか。
家族の中でわだかまっていたものがすこしずつとけているような気がした。
最近発行された本に政治評論家の舛添要一作の介護本がある。
内容は介護もさることながら、壮絶な家族戦争も記録されている。
肉親の憎悪は他人以上に激しいものである事がよく分かる本である。




〜〜 (母のとし:H10.3.21記)〜〜

母が寝たきりになって4年半が過ぎ, 母もこの3月で78回目の誕生日を迎える。
私が生まれた世代の家族,祖父・祖父の妹,父, 私の知る家族の中では一番の長生きとなった。

寝たきりになった当初はもうすぐにでも死ぬのではないかと不安もあり, 家族会議を開いて先祖をどうするか,葬式はと・・・・考えたりもした。
病状も悪いなりに安定し,長年わだかまっていた兄弟家族にも雪解けが訪れ, 母には申しわけないが,母が寝たきりになったことでよくなったのである。

そういった意味からすれば
「元気か」「元気じゃ」と、
毎週私の問いかけに違った答えを返す母に感謝したい。




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