今週のおすすめ本 |
ブック名 |
わたしの歎異抄 |
著者 |
ひろさちや |
発行元 | すずき出版 | 価格 | 1575円 |
チャプタ |
プロローグ:今、なぜ、「歎異抄」か
序章:「歎異抄」から自由な生き方を学ぶ
@「南無阿弥陀仏」は感謝の言葉 A信じるか信じないか B悪人になりなさい C布施の心とお念仏の心 D一切衆生に感謝する E阿弥陀さまから直接いただく F自分に賭ける Gお念仏は称えられない Hお浄土を信じる Iはからいないお念仏 エピローグ:あるがままを愛する |
キーワード | 出世間、少欲知足、悪人正機、自力、他力 |
本の帯 | 「あるがまま」の自分を肯定しよう。「善人なをして往生をとぐ、いはんや悪人をや」−欠点ばかりの人間でいいじゃないかと説く。「歎異抄」から、お先真っ暗な現代を胸をはって生きるヒントを学ぶ。 |
気になるワード ・フレーズ |
・欲望というものは充足されればされるほど,ますます膨らむものです。それが欲望の本質です。だから,わたしたちは欲望の奴隷になってしまいます。欲望を充足させた分,また欲望が膨らむから奴隷なのです。 ・少欲知足−欲を少なくして足るを知る心をもつ,そうしたら幸せになれる。これが奴隷からの解放の道なのです。 ・欲望の奴隷のほかにもうひとつ,わたしたちが奴隷になっていることがあります。それは世間の奴隷です。世の中のものの考え方だとか,世の中の物差しですね。個人の願いや思惑とは別に,世間は世間の物差しをもっているわけで,その物差しの奴隷になっている。 ・お賽銭を入れればご利益がいただけると,信じ込んでいるのですね。それはご利益信仰であって宗教とは関係ありません。 ・人間万能主義で神の世界をもっていない日本人は努力主義でものを考えてしまいます。そして,自分に対しても,他人に対しても際限なく努力を求めてしまうものです。これはしんどいですよ。ですから,よいことも,悪いことも,すべて神さまにお任せする。下駄を預けてしまう。わたしたちは他人のこと,世間のことが,気になって仕方がないのですね。ほとほと横並びが好きな国民なのです。 ・「自由」とは,自分に由ることです。世間の価値判断,世間の物差しなどに惑わされず,自分の価値観で生きる。自分を信じ,自分を大事にする。それは仏教者の姿勢なのです。 |
かってに感想 |
筆者の作品は、「まんだら人生論」「仏教に学ぶ八十八の知恵」「すべては空だ」「福の神入門」等、宗教に胡散臭さを感じている
私にとって、わかりやすい入門書といえる。 人生の折り返し地点や曲がり角を迎えた人なら、かならず死後どうなるのか、いままでの人生はなんだったのかを考えるだろう。 そんな時この本を読んでみると、きっとその人なりのものをみつけられるはずである。猛烈時代に仕事中心で、出世のことやすぐに 会社の上下関係でしか人間を見ることができなかった人は是非読んでもらいたい。ただ、そのような人はこの本に接することがないように思われる。 人生の曲がり角、病気や家族の死を経験した時、自分の人生をふと立ち止まってみた時、その空虚さに驚き壁にあたる、そんな時きっとこの本はちょっとした方向性を示してくれるだろう。 内容については、「悪人正機」<善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや>という親鸞の考え方は、僧籍をもつものでさえ理解に苦しむ。それをわかりやすく解説していたり、また、宗教とは何かという意外な正しい意味を教えられる。 さらに現在の仏教に関する意外な事実を知ることもできた。それは、「葬式・墓石に関すること」「先祖供養の思想」であり、そのフレーズを引用すると「たとえば釈尊は、葬式は在家の仕事だと言われました。だが、今、日本では、お坊さんが仏法を説かず葬式を専門にしています」 「そもそも、仏教には先祖供養の思想はありません。それはすべて、儒教の考え方なのです。儒教という宗教の本質は、自分のご先祖さまを祀れということなのです」「棺を使わず、死体をそのまま土中に埋葬していた時代には死者に大きな石を抱かせたり、埋めた土の上に大きな石を置きました。それが墓石の起源です」 ということである。 もっと感心したのは、「個性」「自由」「必要悪」「努力主義」等、多くの日本人が誤解している部分を適確に指摘している。この部分のフレーズは、気になるフレーズで一部紹介したい。 私にとって、「歎異抄」自体が親鸞の弟子の唯円の作品であったことを知らなかった私のレベル、「歎異」−異を歎く、唯円が親鸞の法話でもって当時の人々のまちがいを正そうとしたものであること、そのことを知っただけでも十分に意義がある。 終わりになるが、この本は、機会ある毎に再読したい書物になりそうである。 |