今週のおすすめ本 |
ブック名 | 生き上手死に上手 | 著者 |
遠藤周作 |
発行元 | 講談社 | 価格 | 599円 |
チャプタ |
1・2チャプタは日経新聞に,3〜5チャプタは各種雑誌掲載されたエッセイ
@自分の救いは自分のなかにある A余白のなか完成 B生活の挫折は人生のプラス Cよく学びよく遊び Dすべてのものには時季がある |
キーワード | 老い,つまらないもの,愛 |
本の帯 | 死ぬ時は死ぬがよし・・・・だれもがこんな自在な境地で死を迎えたいと思う。しかし死は恐い。ひたすら恐い。だからこそ日夜,怠りない「死に稽古=生き稽古」が必要になる。 |
気になるワード ・フレーズ |
・死ぬときは死ぬがよし(良寛) ・死に支度いたせいたせと桜かな(一茶) ・日本人は古来,死にさいして見苦しくしてはならぬという信念を持ち,美しく死ねることを願ったが,基督教のイエスは十字架で死の苦しみを赤裸々に人間に見せてくれた。 ・一見ムダにみえるもの,一見とりあえず役に立たぬものも,じっと吟味してみるとそこに深い役割深い価値があって,その役割や価値は目先の有効性などにくらべずっと長く続くものだと「韓非子」は言っているのである。 ・夜中など眼をさまし,自分の死の瞬間を空想すると,何ともいえぬ慄然たる気持にかられ,大声で叫びたくなる。 ・老年というのはふしぎなもので若い折の肉体や壮年時代の知性はたしかに衰えていくが,ある種の触覚,感覚だけはとぎすまされていく。そのとぎすまされていく感覚をシュタイナーは次なる世界への媒介感覚といった。 ・私たち人間を包んでいる大きなもの大きな世界。その大きな世界が我々の日常に囁きかけているかすかな声。それに耳を傾けるのが老年だと思うようになっている。 ・愛の第一原則は「捨てぬこと」です。人生が愉快で楽しいなら,人生には愛はいりません。人生が辛くみにくいからこそ,人生を捨てずにこれを生きようとするのが人生への愛です。だから自殺は愛の欠如だと言えます。 ・男女間の愛でも同じことです。相手への美化が消え,情熱がうせた状態で,しかも相手を「捨てぬ」ことが愛のはじまりです。相手の美点だけでなく,欠点やイヤな面をふくめて本当の姿を見きわめ,しかもその本当の彼を捨てぬのが愛のはじまりです。恋なんて誰でもできるもの。愛こそ創りだすもの,と憶えておいてください。 |
かってに感想 |
またまた狐狸庵先生の作品を文庫で読む。 同一人物の作品を三冊読めば,だいたいの流れがわかってきてどちらかといえば飽きてくる。狐狸庵先生は「好奇心を持て」とおっしゃるが,人間とは始末の悪いものでどうにもならないものだと感じてしまう。 二つある名前を使い分ける先生の今回の作品は,内容的に言うと狐狸庵先生というより,まじめな遠藤周作先生の作品といったところである。 1・2チャプタは,古人がのたまった格言とか俳句とかのフレーズを基に,話が展開されていく。すでに読んだ「ぐうたら人間学」「周作塾」と重複する内容がほとんどである。したがって,このチャプタはすーっと流し読みをした。 私自身が最近気になるキーワードとして「死」「老い」「ムダなもの」「愛」「縁」を材料に全体の話が構成されている。 若い世代には少し縁遠いテーマのようである。 特に死に対する心境を率直に吐露している筆者がとても好きである。だれしも死は恐い,達人はみるかぎりその恐さが表に出ない。でもその内面は,実のところわからない。そこをあえて筆者はその内面を吐露しているのである。 今回の作品で思わずなるほどとおもったことと,老いに対し,ただ朽ちるだけと思っていた自分がいい意味での再認識させられる部分があった。 まず一つは,「愛することの第一原則は『捨てぬこと』」「自殺は愛の欠如」である。日本人は「愛とか愛している」とかといった言葉をすぐに口には出さない。さらに団塊世代は酔っても冗談でも妻にはもうさない。クリスチャンゆえの筆者の言葉か,もっともほとんどクリスチャンのアメリカでさえも離婚により妻や夫やこどもを簡単に捨てている。ただ単に性格の不一致だけだろうか。一応それになりに,ほれてかはれてか納得して結婚しても現実は厳しい。最近は熟年世代で多くの人たちが子供の自立を機会に,長年の結婚生活にピリオドをうち,捨てる行為をいとも簡単にやっている。もっとも捨てる神あれば拾う神ありで,適当にバランスがとれているが。 現実は,家庭をかえりみず会社に尽くしすぎて疲れ果てた男たち,愛をうまく表現できない団塊世代の男たちが捨てられているのである。 恋と愛の違いについて,気になるフレーズに載せているが,これは明快であり納得できる。 次に老いに関し,「次なる世界への媒介感覚」という言葉がある。これは次の世界があると信じている人には,まことに響きのある言葉である。そうなってくると老いとは喜ばしきものに見えてくる。つまり考え方次第なのである。ただ「此岸」での生を失いたくないのが凡人であり,次の世界があると言っても自分で確認できたわけではないので,やはり凡人には死は恐いのである。 そして,一番なるほどと思ったのは「縁の神秘」をテーマにしたところである。 「縁などという言葉を口にすると,おそらく若い人たちには笑われる」といいながら,わたしたち団塊世代になるとまちがいなくやはり「縁があって」という言葉をつい言ってしまう。それは年を重ね,経験を積んだ結果としてのたまう言葉で,いましみじみとその言葉に納得している。 |