今週のおすすめ本


ブック名 「殺人」と「尊厳死」の間で
(副題)脳外科医の告白
著者 伊藤政彦
発行元 主婦の友社 価格 1575円
チャプタ @誰がその「植物」をつくったか
A医者が人口呼吸器をはずすとき
B「植物」の捨て方,教えます
C立花隆氏への手紙 著書『脳死』について
D告白家族に隠した医療過誤
E壊れた脳を救う金,金,金の話
(あとがきにかえて) 脳低体温療法の問題
キーワード ・植物人間,医療過誤,脳死,医療費,逝かせ方・逝き方,延命治療の選択
本の帯 医療の進歩が“死”をあいまいにする。日々生み出される植物人間(ベジ)たち。混乱する生命倫理。家族に隠される医療過誤。そんなことが許されるのでしょうか。
気になるワード
・フレーズ
・患者が生死の境をさまよっているとき「命だけは助けてください」と手術をどんなに懇願した家族でも,最後は必ずといっていいほど,患者を病院に捨てていく。
・臓器移植問題がクローズアップされ、伝統的な三徴候がそろった死から脳死が独り歩きしている感があるが、自然状態での脳死とは、脳幹死から心臓死に至る間のたかだか10分ほどを意味するにすぎないのである。
・町の小さな病院のレベルになるとベジの管理はむずかしい。看護婦のケアがまるでちがうのだ。町病院では,患者に対する看護婦の数が少ないので,ベジの患者を放置しがちなのである。すると患者はプランターの忘れられた草のように,すぐに枯れて死ぬ。
・実際,私がなにより残念に思うのは,脳幹死における「内的意識」の残存を例証するために立花さんが引いておられるケースがどれもこれも無茶苦茶なものだという事実です。
・それにしても立花さんはなぜそこまで脳幹死説を憎悪したのでしょうか?「内的意識」をあたかも絶対に侵犯の許されない聖域としてぶ厚い著書の一冊を費やしてまで死守しようとしたのはなぜなのか?
・昨今なにかと話題に上る臓器移植もそうだが,患者や家族の意識をないがしろにして,医者が勝手に医療行為を推し進めるような場合は,訴えられても仕方がないだろう。が,医者もウェイトレスと同じ生身の人間である。であるから,ときにはおかしたくないミスをおかす。
・ぼくらは今やベジを捨てることが倫理的に許されるかどうかではなく,その捨て方が人道的かどうかを胸襟を開いて論議するときに来ているのだ。
・ベジは社会的には百害あって一利なしの存在である。手術による積極的治療を行ってベジをつくるよりは,患者をすんなり逝かせたほうが,社会にとって利益になる。また消極的治療の結果として患者がベジになった場合も,その捨て方が人道的でさえあれば,患者を早く捨てることが社会の利益となることをここで改めて確認しておく必要があるだろう。


かってに感想 日ごろ,愉しい毎日,平和な毎日を過ごしていると,生活から「死」を遠ざ け「死」は自分には無関係のように思ってしまう。40歳を過ぎた頃から,自 分の先が見え出した頃から,確実に体の至る所に老いがその顔を出し,枯れて いく命の延長線上に「死」があることを知らせてくる。
とはいうものの,人は己の身近な人の「死」を体験しない限り,自分の生と か死を考えることはまずしないのではないだろうか。
 そんなことを考えていた時,メールフレンドからガンと闘う友に関して一通 のメールをもらった。そして,いつもの書店に出向きいつものように読み本の 探索。
 「尊厳死」という言葉,凡人とは離れた位置にあるお医者さんという立場の 人が,飾り気のない率直な言葉で書いていること,また,チャプタの中に立花 隆氏への手紙等があるということから興味が動き,読むことにしたのである。
 まず『「殺人」と「尊厳死」の間で』という本の題名から,読み手,患者側 の立場にある私たちはどきりとしてしまう。
 各チャプタには,医療過誤の告白,脳死に関する立花隆氏への手紙,増加す る医療費の問題点,逝き方・逝かせ方,作り出される植物(ベジ)人間それぞ れをテーマに,医療側の内側・タブーとされている事項をさらけだし,いま医 者として何を議論すべきかを提言している。
 あとがきに「患者と“さん”づけで呼び合えるような風通しのいい医療を築 いていくには,医療の暗部をこそ,医者は語らねばならない,とぼくは思う」 とあるように,筆者は先生と呼ばれる医者側から,患者の目線で話しをすべき であるとする。
 “先生”と呼ばれ,普通の人間よりはかなり優秀だと思っているお医者さん にとっては,いささか物議を醸す内容である。
 なかでもどきりとしたのは,筆者自らの医療過誤の告白,さらに微細に渡り 資料を収集し,常に隙のない論理を展開している立花隆の著作「脳死」に対す る理論展開の矛盾の指摘,あとがきにあるH教授が進める脳低体温療法の罪と 罰として柳田邦男氏を登場させた,国営放送の誤報の指摘である。
 一方、学ぶべきものも多くあった,人に迷惑をかけない死に方,後輩指導の 原点にある実践的OJTの大切さ,家族の死に対する決断の仕方であり,さら に将来の医療制度等の方向性を示すものもあった。
 具体的には,インフォームド・コンセント(説明と同意)からインフォーム ド・セルフ・ディシジョン(説明と自己決定)へ,コスト削減の努力が病院に も必要となる競争時代に,これらを裏返せばいい医者・病院は自分で選択し, 死に方も自分であらかじめ考えておきなさいという医者からの提言であり,ま たそれができる時代にもなったということなのである。
 おわりに、次のフレーズ「患者(ぼく自身もいずれはその立場にある)に今, 求められているのは、死に際の権利を声高に主張することよりも、人にできるだ け迷惑をかけずに逝く、死に際のマナーではないだろうか」を読んだとき、鳥取 にあった嫁入らず観音を思い出し、いくら医療技術や科学技術が進歩しても、積 み重ねの上に成り立ってきた昔の人の智恵に関心し、大きく頷いてしまっている 自分に気づいた。


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