今週のおすすめ本


ブック名 臆病な医者 著者 南木佳士
発行元 朝日新聞社 価格 1470円
チャプタ 主なエッセイ
@豆腐とヨーグルト
A美希子さんへの返書
B父のいた日々
C共同作業
Dうつ病
E死に場所について
F聖火リレー考
G風について
H想像力について
I理想の家族
J本との自然な出会い
キーワード 老い,死生観,人間の本性
本の帯 二つの仕事に挟まれて明日を楽観できなくなってしまった中年男の臆病な目に映る日常の細部の意外な輝きを綴るエッセイ等
気になるワード
・フレーズ
・病は誰が人生の伴侶なのかを残酷なほど明らかにしてくれる。病院でそんな風景を嫌になるほど目にしながらも,おなじ目で若い看護婦さんの美しくくびれた足首に見とれてしまうどうしようもない私がいる。
・美希子さん,私はそろそろ人生の往路で身に付けてきたささやかな学歴や地位や名誉といった世間的な価値を脱ぎ捨て復路を還りつつ,ただ人としてあるだけの存在に戻るべき時期に来ているのではないかと思っています。
・死という無の前ではすべての価値は無意味だし,意味のある死などというものは存在しないらしいことも気づかせてもらっています。
・私が毎朝仏壇に手を合わせ,気が向いたときに「歎異抄」を読み返す程度の「宗教活動」しかしていないのは,それ以上の唯一絶対の真理だとか,救世主のような人を必要としないからです。
・私が強いからではなく,逆にとことん弱い己を自覚してしまった故です。その視点から,生きていればなんでもありだと開き直ってしまったのです。
・私は夕食の介助をしたのだが,何も話さず,表情にも乏しい父を見ていると,まるで近未来の自分と向き合っているようで,長生きなんかしたってどうせ待っているのはこんな惨めな老後なのだといら立って「早く食っちまえよ」と医者にあるまじき暴言を吐いていた。
・おじいさんを亡くしたあと,三カ月以上沈み込んでいたおばあさんを私はまだ見たことがない。反対に妻に先立たれたおじいさんはいつまで経っても愚痴ばかり言っていて立ち直るまでに時間がかかる。
かってに感想  気分が滅入っていたり,病を担いでいたりする人には,あまりおすすめできるできる本ではない。
 とにかく前向きに,明るく生きている人にもおすすめできない。死とか老いとかは私には関係ないと思っている人にもおすすめではない。
 さらにいま現在,人生の頂点にあり,向かうところ敵なしで有頂天になっている人にもおすすめではない。
 ただなんとなく自分も死ぬんだと思い始めた人,老いていく自分はどうすればいいのか,いつ死んでもおかしくない年になって少し死について考え始めた人,自分が何かにつけて何のために生きているのかと,五木寛之作ではないが,「人生の目的」について考え始めた人に是非一読をおすすめしたい。
 すでに発表されたエッセイ,ミニ小説,書評が集約されている。エッセイの場合,こういった形で単行本になるのが多いようである。
 この本を読んでいると,医者が患者とのコミュニケーションを通じて,老いとか病とか死に対する人間の本性,宗教に対する考え方,生きているということについて,学んできたものを多様な人間像の表現という形で教えられる。
 たいていの人は,日頃,人の生死にあまり関わらない。だから,医者という立場の人は,この本を読むまでは,精神的にタフな人,すごく器量の大きな人,生死にとてもクールな人,冷徹な人,と思っていたのであるが,医者も人の子,生身の人間,うつ病になり弱い立場になった人間としてほとんどが表現されているところに自分のものとして取り込める要素が実に多い。
 また,筆者は作家と医者という2つの仕事をこなしながら,うつ病にもなって,得たものはなんだったのか,300人以上の死を看取ってきたればこその,本音の臆病な自分をそのまま表現したエッセイ・小説には,とても人間臭くて落ち着くものを感じる。
 さらに,ある裕福な家庭に生まれた女性の一生と,その病人の担当医との両側の感情を描写した2つのミニ小説は,とても印象的である。特に筆者の本音の部分をその女性に語らせる小説にテーマの「臆病な医者」が見事に描かれている。
 この本から多くのいいフレーズをいただいた。生きているということ,死で失う平等な現在,価値観,宗教観,ほとんどのものは,気になるフレーズで紹介するが,50代を生きていくのにとても大切なものを少し紹介したい。
 まず第一に,過去と未来そして現在,過去は現在思い出さないかぎりは存在しない,未来は現在頭の中で考えているだけで保証はない,つまり生は現在そのものであり,「生きていればなんでもありかも知れないよね」と語るミニ小説の医者のセリフのとおり,人がかろうじて持てるのはいま生きている瞬間なのである。
 次に,老いから死にいたる段階でも,多くの自分勝手な価値の衣を着たまま迎えている人間の多いことを教えられ,それが実につまらないことかも知らされる。にもかかわらず 90年代は,地位とか名誉とか金に翻弄されるエリート老年の集大成のような年ではなかったろうか。
 年をとればあるがままでいいのである,過去取得した価値観など老いとか死とかには全く関係ないのだ。
 おわりに,人間の本性−死に必要のない価値の衣を着ている,楽を選ぶ,ない未来に怯えている,真の人生の伴侶−についても教えられ,「ただ人としてあるだけ」「名もなき老人患者」「意味のある死などというものは存在しない」という言葉に筆者の達観した人生観を感じた。
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