今週のおすすめ本


ブック名 メロンと鳩
著者 吉村昭
発行元 文春文庫 価格 459円
チャプタ
@メロンと鳩
A鳳仙花
B苺
C島の春
D毬藻
E凧
F高架線
G少年の夏
H赤い月
I破魔矢
キーワード
本の帯 処刑を目前にし、己の揺れる心と必死に格闘する死刑囚と、彼を温かい眼で見守る
面接員との心の交流を鮮やかに描いた「メロンと鳩」・・・
気になるワード
・フレーズ
・執行を無事に終わらせるには、それを受ける者が従順な態度で死を迎え入れてくれなければならない。執行までの歳月は、かれらをそのような人間に作り上げるためのもので信仰を得させ、書道、俳句、短歌などを教えるのも精神安定に効果があるとされているからである。
・初めてかれらを仏間で眼にした時、かれらは男たちの清潔さに強い印象をうけた。洗濯されたばかりらしい衣服を身につけたかれらは、清冽な水で身を洗いぬいたように汚れというものを感じられなかった。
・そうした死刑囚たちに接しているうちに、かれらの明るく澄んだ眼は、決して教化による悟りによるものではないことに気づくようになった。むしろその眼は死に対するおびえから生じた不安定な明るさだと思うようにもなっていた。
・死刑囚を絞首台に導くのはきっかけが必要だと言われているが、その瞬間が早めに訪れたらしい。
かってに感想 暗い話ではあるが、生まれた限り考えなくてはいけないテーマでもある。
解説にもあるが、すべて「死」をテーマにした10編の短編小説である。すでに20年以上前に書かれたものであるが、文体が古いわけでもなく、テーマは人類共通のものだからいつ読んでも全く新鮮である。
@メロンと鳩A鳳仙花は死刑囚の話、B苺は刑務所内で小説を描いた作品が入選した男が刑期を終えて出所して、小説の選者の家を訪ねてくる話。
C島の春は、水死体の流れてくる島と自殺志願者の老人と島の子どもとの交流の話、D毬藻は、漁村での過去の沈没船と久しぶりに網にかかった赤ん坊の水死体の話。
E凧は、難病を患っている男の趣味の話、F高架線は、17・8才で父母を失い兄の家に寄宿生活をしていた男の話 。
G少年の夏は、幼児が鯉を飼っていた池で水死した話、H赤い月は、50代半ばで両親を癌で失った兄の還暦祝いとわが娘の初潮の儀式の話。
I破魔矢は、鼠取りと鼠の死・義姉の娘との初詣の話。
たぶんこの作品は、死を考える年にならないとあまり読まない作品といえるのではないだろうか。
いつも思うのだが、推理小説や短編小説の場合、題名がどこからついたのかに興味が動く、そのフレーズが出てくると、うっと頷く自分に、また読んだという満ち足りた顔を見てしまう。
いつものように、気になったところを紹介してみよう。
死刑囚の話の第1編の「メロンと鳩」は、とてもいい作品だが、すでに帯の中で書かれているので省略する。
2編も同じく死刑囚の話。
この2作品を読んで考えたことは、人間いずれは死ぬ。
しかし、健康な体でありながら、他力によって死を迎える人間たち。
当然のことながら、彼らによって生命を奪われた人間がいる。他人の命を奪った人間の心を描いた作品ではない。
刑務所の職員、面接委員、俳句の先生という、死刑囚に関わった第三者の眼からみた他人の死に対する人間の心の動きと死刑囚の心の動きが描かれている。
凡人の場合、若くして特別な病気をしない限り、平均寿命の自然死を迎える。
とはいえ、凡人は死刑囚のように、こころの準備をしているだろうか、多くの人の場合、生の後の老・病・死はなすがままで、どちらかといえばいきあたりばったりではなかろうか。
信仰、俳句、書道等を習わせてこころを落ち着かせ、死に臨ませると言っても、「その眼は死に対するおびえから生じた不安定な明るさ」というフレーズで語られるように、決して高邁な僧侶のように死は迎えられないのである。
そうであるなら、自然死を迎える人間たちがほとんどのこの此岸では、いくら精神的な修業を積んでもそんなに変わらないのであるまいか。やはり死は恐いのである。
・一休禅師言葉:ふたたび 「よの中はくふて糞してねて起きてさてその後は死ぬるばかりよ。生まれ来てその前生を知らざれば死にゆく先はなほ知らぬなり、生は仮の宿であり、死も空、死後は知らぬという。」ということなのではと思うがどうだろうか。
 
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