<橋の町:親柱>
★猿猴橋(ゑんこうは志)・・・大正15年2月竣成
 橋脚も石材、戦前駅前が繁華街のころのメインストリートに位置していた。
★平和大橋
 世界の彫刻家:イサム野口の作品
★元安橋
 爆心地より130メートル、原子爆弾の爆風により点灯装置の笠石が左右反  対方向にずれ、欄干も元安川に転落したが、橋自体は爆心直下のため崩壊を  免れた。
★荒神橋(しばんじうわく)・・・昭和14年3月竣成
 古いままの柱と新しい柱のまだら模様が戦後からの車社会の傷みをうかがわ せる。
★柳橋
 稲荷大橋から110メートル下流の橋、木造のため約1時間で焼け落ちた。現在は  鉄の橋になっている。
★京橋(きやうはし)昭和2年6月竣成
原爆の被害も受けず戦前のままの姿である。
★常葉橋
 橋のたもとにかっての親柱がある。
★万代橋
橋のたもとにかっての親柱がある。
★相生橋
かっての親柱
★工兵橋
工兵第五連隊が牛田の演習場への連絡橋として架けたものが始まりで、  1954年に架け替えられ現在の昇橋になった。
★二又橋
 斜めの親柱、歩いて8歩で渡れる。二つの小さな川を跨いでいる。
★相生橋(原爆ドームの西側)
 旧相生橋は昭和7年に架設された。全国でも珍しいT字形をした橋。昭和  20年8月原子爆弾投下の目標となったものと言われています。
★鶴見橋親柱
 被爆当時この橋の西側では動員学徒
や義勇隊の人びとで焼夷弾などによる延
 焼を防ぐため、建物疎開作業従事していた。
★空鞘橋名板
 空鞘橋の呼称は空鞘神社に由来し
「からの鞘が境内の松枝にかかっていた」
 故事によると伝えられている。
★建設大臣から手作り郷土賞
横川橋
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