<原爆の碑>
・時の移り変わりとともに、人の考え、物の価値、世相は大きく変化し、古きもの、滅びゆくものは忘れ去られる。
・年老いた人間たちは、残された古きものに懐かしさを感じ、滅びゆくものに哀切を感じる。
・やっと消費することを美徳とする時代から、少し変化の兆しが見え始めている。
・被爆都市広島には、原爆犠牲者を悼む碑や当時の状況を語る石碑・パネルが多くある。
・平和公園内とその周辺、百m道路沿い、各橋とその土手沿い、街の中にひっそりと位置している。人は何事もなかったように通り過ぎている。
・原爆投下から半世紀以上が過ぎ、その当時の悲惨さを語る語りべも少なくなり、年一度の8月6日の式典にすべてが凝縮された形になっている。
・時の流れとともに原爆の悲惨さは風化しつつあるようだ。
★稲荷町電車専用橋
 爆心地から1350メートル、この橋は鉄橋であったため、橋桁が傾き、レ  ールが曲がる損傷を受けたがかろうじて崩落は免れた
★原爆投下後の原爆ドーム周辺
★移動演劇さくら隊原爆殉難碑(丸山定夫氏他8名) ★万代橋(よろずよばし)
 爆心地から880メートル、原爆の強烈な熱線をさえぎった欄干はその形を 影として残しました。この橋の上には、その時歩いていた人の影や荷車、リヤ カーの影も残していた。
★被爆歌人山本康夫碑(大正橋西たもと)
 「原爆にあまた逝かせしなげきのみうづきてやまずきのふのごとく」
★原爆ドーム
★千切大師堂
原爆投下後、傾いた大師堂を修理する老夫婦
★千切大師堂
 昔この地で罪人の首をはねていた。その霊を慰めるため、建てられたもの
★平和を祈る八時の鐘
 平和を祈念して再鋳開眼された鐘、毎朝8時15分に撞かれている。
★平和を祈る八時の鐘
鐘には焼けただれた 広島市上空に現われた観音像、弘法大師像、 平和を祈る漢詩文、光 明真言(梵字)、ノーモアヒロシマズの英文 が刻まれている。
★荒神堂、原爆祈念雑魚場疎開地跡、殉国学徒之碑 ★日本銀行広島支店
 爆心地から約380メートル、原爆の強烈な爆風により外形は残ったものの  内部は破壊され、42人が犠牲になった。
★鶴見橋柳  被爆当時この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとで焼夷弾などによる延  焼を防ぐため、建物疎開作業従事していた。たもとの柳は戦前のものである ★日本発送電碑
★西平和大橋西たもと慈母観音像 ★中国配電
 爆心地から680メートル、爆発と
同時にこの鉄筋コンクリート5階建の建
 物は外形だけ残し破壊炎上し内部は焼失した。
どうぞお入りください。
☆原爆慰霊碑アルバム


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